やまゆり園事件の危うい陥穽 排除への誘惑に抗う 映画「インディペンデントリビング」を見て(下)

By 佐々木央

©ぶんぶんフィルムズ 映画「インディペンデントリビング」のワンシーン

 神奈川県相模原市で45人の障害者を殺傷した植松聖(さとし)が「津久井やまゆり園」で働き始めたのは2012年12月だった。16年2月に退職し、それから5カ月後に凄惨な事件を起こす。(47NEWS編集部、共同通信編集委員佐々木央)

 交際していた女性の法廷での証言によれば、14年の段階では「散歩している入所者を見て、あの人はかわいいと楽しそうに話していた」。それが翌年には「あいつら人間じゃない」と否定するようになった。

 やまゆり園を退職する直前、衆院議長公邸に届けた手紙で「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と宣言した。彼はやまゆり園で、障害者の実像を見なかったのか。いや、十分すぎるほど見たのかもしれない。手紙にこう書いている。

 「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません」

 同じ文章の中で、保護者の表情を「疲れきった」と表現し、働いている職員を「生気の欠けた瞳」と否定する。実際に見たこと、経験したことが、彼を失望させた疑いがある。

 そして事件後に明らかになってきた事実は、その疑いを強める。

 NHKの「おはよう日本」が昨年6月12日、津久井やまゆり園の元利用者の女性を取り上げた。その女性は、やまゆり園で長期間、車いすに拘束されていた。ところが事件後、横浜市内の施設に移り、拘束を解かれてリハビリを受けると、歩けるようになる。カフェや美容室に出かけ、地域の資源回収にも参加できるようになった。

 衝撃的な事件も起きた。昨年10月、神奈川県厚木市の「愛名やまゆり園」の元園長が強制性交の疑いで逮捕された。園長在職中の18年11月から12月にかけて、小6の女児に乱暴したという容疑事実だった。愛名やまゆり園と津久井やまゆり園は、同じ社会福祉法人が指定管理者として運営している。

 愛名やまゆり園では入所者に対する職員の虐待も、今年に入って確認された。報道によれば「風呂場で水をかける」「食事制限されているのに大量に食べさせる」「箸1本で食べさせる」「夜中に1~3時間トイレに座らせる」といった内容だ。

 ただ、植松が勤めていた当時の津久井やまゆり園で、入所者への不適切な対応がどれほどあったのかはわからない。

 法廷で交際相手の女性は、障害者に対する植松の態度が変化した理由を「重度障害者とコミュニケーションをとるのが難しく、給料も安く、何のために仕事をしているのか見えなくなってしまったのだと思う」と推測したが、たとえ、そうだとしても大量殺人の説明にはならない。

 障害者の自立生活への道を描く映画「インディペンデントリビング」(田中悠輝監督)に、自立生活センターで広報を務める女性、大橋ノアが登場する。

 大橋は19歳で多発性硬化症と診断され、重度心身障害者の大規模施設に入る。そこでは毎日、同じことの繰り返しだった。大橋の視線は、施設と障害者の関係を鋭く射ぬく。

 「障害を受容するって、この環境を受容するってことなの」

 施設生活の現実と格闘した末に、自立生活センターと出会う。映画の中では、アメリカ留学に旅立つ場面が写し出される。

©ぶんぶんフィルムズ

 見送りのスタッフに「泣かないでくださいね」と言われ「泣いている人に言われたないわ」と大阪弁で返し、抱擁する。私も笑いながら、もらい泣きしてしまう。

 映画に登場する障害者の中で、最も障害が重いのは池本博保(愛称・ヒロくん)だろう。身体と知的の重複障害者で言葉がない。母親や姉夫婦と暮らすが、10年ほど前から自立を目指してヘルパーが入っている。

 ヒロくんの介助を続ける川端延昌は映画の中で述懐する。「介助者に対して、目ですごい訴えてくるというのがわかってきました」

 川端が話すあいだ、ヒロくんは川端に体を寄せ、肩に頭をのせている。川端の介助で入浴する場面がある。背中から体を抱えられ、気持ちよさそうにお湯につかっている。

©ぶんぶんフィルムズ

 ヒロくんの部屋で幼い姉妹が遊んでいる。めいたちだ。表情が読めるのか、ヒロくんが「おこってる」と言い出したりする。娘を「こっちこっち」と呼び寄せようとする母親に、「やだ、ここの部屋に住みたーい」と言い返すめいたち。ヒロくんが心からうれしそうに笑っている。

 言葉のないヒロくんは、植松聖の基準からは、安楽死させるべき人になるだろう。

 重い障害の人とそれ以外の人のあいだに、植松は見えない線を引く。それは生死を分ける線だ。許しがたい思想だと思う。だから私は、彼と自分のあいだに明瞭な線を引きたくなる。モンスターの君と、私は違うと。

 だが、それをしては、私も植松と同じになってしまうだろう。

 映画の冒頭、頸髄損傷の渕上賢治はくわえ煙草でヘルパーに次々に指示を出す。彼のその態度に違和感を覚えたことは、(上)で書いた。渕上は支援を受けながら、障害者の自立を支援する自立生活センターの代表を務めている。

 映画の終盤、渕上は繁華街にまた、くわえ煙草で出現する。そのシーンに渕上自身の語りが重なる。それは支援される者でなく、支援する者としての言葉だ。

 「人(障害の当事者)がどんどんえぐるようにのぼっていく、そういう一端を担っていると思ったら、それはすごい仕事やぞ。この仕事をやるために、おれはケイソン(頸髄損傷)になったんやと思えるように、今はなった」

 その言葉に、私は深くうなずく。「障害者らしからぬ障害者」である渕上に反発を感じ、私と渕上のあいだに、私自身が引いた1本の見えない線は、もう消えている。(敬称略)

 映画「インディペンデントリビング」を見て(上)

https://this.kiji.is/597648550759040097?c=39546741839462401

■映画「インディペンデントリビング」は大阪市淀川区の淀川文化創造館・シアターセブンで2月14日まで。3月14日から東京・渋谷のユーロスペースでも上映される。

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