島民の命と健康守り半世紀 内科開業医 田坂さん死去

お年寄りの家を訪ね、診察する田坂さん(左)=2015年2月、新上五島町内

 半世紀以上にわたり地域医療に貢献した長崎県新上五島町の医師、田坂章吾さんが1月28日深夜、89歳で死去した。晩年、内科の開業医は島内で田坂さんただ1人。高齢化の進む島で診療や往診を続けた功績をたたえ、2016年に長崎新聞文化章が贈られている。島の人たちは田坂さんの温かな人柄をしのび、別れを惜しんでいる。
 田坂さんは同町出身。長崎大医学部を卒業後、五島市などで勤務。1963年4月、島民に請われ、医師がいない古里の奈摩地区で田坂医院を開いた。上五島や有川など中通島全域から訪れる患者を診療。来院できないお年寄りらには積極的に往診した。舗装されている道がまだ少なかった頃。バイクで患者の家々を回った。
 72年4月、同町青方郷に自宅を兼ねて本院を移し、奈摩郷でも週3回、診療をした。この頃から内科開業医は年々減り、十数年前から田坂医院だけに。田坂さんは懸命に地域医療を支えたが、健康上の理由で2015年3月末で閉院した。その後も約1年間は町内の老人施設に週1回通い、検診などを担った。昨年8月から体調を崩し、入退院を繰り返していたという。
 同町奈摩郷の元教員、古谷野光広さん(69)は、母親と田坂さんが幼なじみで、普段から交流があった。勤務先の町立上郷小に予防接種のため来校した田坂さんが、注射を打ちながら「痛くないよ」と児童らに語りかけて安心させていた優しい姿が記憶に残っている。
 田坂さんの医の志は子や孫に受け継がれている。子ども4人のうち、長男は歯科医。孫5人も医師や医学生だ。長女の福井美紀さん(56)の長男、駿介さん(26)は北九州市で整形外科医を目指す研修医。「父も医師なので自然に目指した。小学生の時、おじいさんの往診について行った時の患者さんの笑顔を覚えている。将来は上五島など離島医療に貢献したい」と語った。
 1月30日午前、火葬場に向かう霊きゅう車は遠回りして古里の奈摩地区を通った。多くの島の人たちは道端に立ち、手を合わせて別れを惜しんだという。
 「診療をやめても多くの人が家を訪ねてきてくれるなど、本当に地域の人から愛されていたと思う」と妻の和子さん(81)。「言葉が多い人ではなかったけれど、慣れない島の生活でも、私をそっと見守ってくれる優しさがあった。長い間、ありがとう」とねぎらった。

アルバムの写真で田坂さんの思い出を振り返る、妻和子さん(中央)ら家族=新上五島町青方郷の自宅

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