トンネルと更地の繰り返し【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線 その36

名前が銭神というトンネル(191m)。短いので向こうの坑口が見えます。地図を見ても銭神という地名は見当たりません。玉川、第○×地割がやたらに並んでいるだけなのです。地元の人が呼ぶ山の名前だったりするのかもしれません。

石門トンネル(510m)。石門という地名も見つけられません。トンネルの命名って、決まったやり方があるのか、不勉強なので分かりません。

トンネルを出れば海が広がります。下を玉川が流れて海に注いでいます。玉川漁港も見えました。

堀内駅から4.5kmで野田玉川駅。

相対式ホーム2面2線。右(東)側50mには太平洋の波が打ち寄せています。

駅名標。国鉄久慈線の駅として1975年(昭和50年)開業。単式ホームの駅でしたが1984年(昭和59年)三陸鉄道に移管時に列車交換可能な現在の形になりました。既に国鉄八戸線に1954年(昭和29年)に開業した玉川駅があったため野田玉川駅とされました。駅所在地は岩手県九戸郡野田村大字玉川です。

駅の愛称「西行の庵」は新古今集の歌人西行がこの地に庵を結んだという伝承から付けられました。

西行は新古今集に最も多くの和歌(94首)が採録されています。後鳥羽院が最も好んだ歌人だったのです。俗名佐藤義清は鳥羽院の北面武士を務めた後、23歳で出家しました。出家後、奥羽地方には二度下っています。西行が庵を結んだという場所は、半ば伝説としてでしょうが東北のあちこちに残されている様です。

ホームの久慈方面。鉄道電話の箱(黒に黄色のライン)には「TB」と書かれていて施錠はされていないようでした。Telephone Boxの略かな。

こちらは宮古側、ホームから駅前広場が見えます。広場にはバス停があるというワケでも無く、飲料の自販機が置いてあるだけです。

25km/h制限の予告票があります。玉川トンネル(222m)があります。

トンネルの前と後で路盤の雪が何故こんなに違うのでしょうか?

法面にブルーシートがかけられています。おそらく崩れているので25km/h制限なのでしょう。奥は米田トンネル(300m)。

視界が開けましたが、水門・防潮堤で海が遮られています。ここも津波の傷跡・・・。

更地ばかりが寂しく広がっていると思いましたが、夏の写真を見ると緑の農耕地もありました。右(東)側は水門の見える防潮堤までが更地でした。リアス線の築堤も防潮堤の役割を持っています。

【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線その37 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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