ジャーニーの最高傑作「フロンティアーズ」80年代の宝物、産業ロックが大好きだ! 1983年 2月10日 ジャーニーのアルバム「フロンティアーズ」が日本でリリースされた日

産業ロック、それは渋谷陽一が批判的な意味合いで命名

“産業ロック” と呼ばれる音楽が大好きだ。なぜなら、産業ロックは80年代という時代背景が生み出した象徴的なロックのひとつだからだ。

そもそも産業ロックとは何か? その名称自体は、音楽評論家の渋谷陽一さんが批判的な意味合いで名付けたのが始まりだという。確かに当時の著書で産業ロックを「アバンギャルドな試みのないロックの動脈硬化だ」等と酷評していた。一般的には、70年代からハードロックやプログレ、サザンロック等のシーンで活動してきた中堅アーティストで80年代に入りポップな音楽性へと転向、ヒット曲を輩出したアーティスト群の総称として用いられる。

音楽的にはキャッチーで甘いメロディ、ハイトーンのヴォーカルと分厚いコーラス、キーボードを多用した過剰なアレンジ、メッセージ性なきラブソング中心の歌詞、ラジオフレンドリーなバラードナンバーを持つ、等共通点も多い。代表的なところでは、ジャーニー、TOTO、ボストン、フォリナー、スティクス、REOスピードワゴン、サバイバー、エイジア等が挙げられる。

僕自身は前述のアーティスト達が創る音楽が単純に自分の嗜好に合っており、そのクオリティの高さに惹かれたので、たとえ批判的な呼び名でも気にならなかった。むしろ皮肉でなく言い得て妙だなと思ったほどだ。余談だが、僕がエイジアを初めて聴いて好きになったのは、渋谷陽一さんが DJ をしていた NHK-FM『サウンドストリート』だった。今考えると面白い。

商業主義で革新性がないと捉えられた産業ロックだが…

ネットで “産業ロック” を検索してみると、その賛否を巡り音楽ファンの間で様々な意見があり興味深い。実際にこの Re:minder でも何人かのカタリベがテーマとして取り上げている。そうした議論が起こるのも、それが80年代の洋楽を語る上で大きな出来事であった証といえるだろう。

商業主義で革新性がないと捉えられた産業ロックは、当時台頭したニューウェイヴとの対比によっても批判された。けれども、これはかつての「メタルとパンクどちらが好きか?」みたいな議論と同様に、突き詰めると結局は音楽に対する個人の嗜好の違いに起因しているように思える。

スタジオミュージシャン集団の TOTO をはじめ、産業ロック系アーティストの多くは “売れ線” を狙える優れた曲作りの能力や演奏技量があり、さらに卓越したプロデュース能力を持つ制作者が周囲にいた。そうした背景から生まれるロックに対し、“作られた感” があると嫌悪を抱くか否かが賛否を分けるのだろう。それでも、結果として産業ロックが多くの人々に受け入れられたのは事実であり、ある意味 “ロック” のあり方のひとつを提示したのではないか。

本物のロック魂とチャレンジ精神、ジャーニー「フロンティアーズ」

数多の産業ロック系アーティストの象徴といえばジャーニーで、彼らの代表作『エスケイプ』であろう。スティーヴ・ペリーという唯一無二の才能を持つヴォーカリストを広く知らしめたこのアルバムの空前の大ヒットが、多くのアーティスト達の産業ロック化を誘発したことは間違いない。正直に告白すると、僕も批判派と同様に『エスケイプ』を聴いた当初はバラードばかりがアピールされて、ロックとしてソフト過ぎると感じた。しかし、ジャーニーへのそんな認識を180度改めたのが、次作にして僕にとっての最高傑作『フロンティアーズ』だった。

83年5月の発売直前に NHK で放映された『ヤング・ミュージック・ショー』でのパフォーマンスを観て、彼らの魅力にようやく気づき始めた僕は、意を決し『フロンティアーズ』の LP盤 を手に入れた。聴いて驚いたのは、前作の手法を繰り返すのではなく、よりハードでドラマティックにエッジの効いた「攻め」の作品に仕上げてきたことだ。そこにはトレードマークであるメロディアスな音楽性に加え、本物のロック魂とチャレンジ精神が宿っていた。

産業ロックは罪だったのか? それともエヴァーグリーン?

産業ロックと揶揄されながらも栄華を極めたアーティスト達は、80年代の終わりと共に低迷期に入っていく。それは彼らがあの時代の空気の中でこそ、最も輝いたことを暗示するかのようだった。それでもその多くは新世紀に入っても地道に活動を続けていた。

―― ちょうど2005年頃から数年、僕はレコード会社の制作ディレクターとしてジャーニーや TOTO、サバイバー等の新作を担当させてもらった。今更往年のアーティスト達の日本盤の契約を獲得しようとしたのは、彼らが創り出す音楽がいつの時代であっても人々から求められるエヴァーグリーンだと確信していたからだ。

そして、産業ロックの全盛期から35年以上が経過した2018年――

長年表立った音楽活動をしていなかった元ジャーニーのヴォイス・オブ・産業ロック(と敢えて呼んでしまうが)スティーヴ・ペリーが、実に約25年ぶりのソロ作をリリース。ビッグサプライズに恵まれた。“80’s洋楽” から生まれた “産業ロック” は果たして罪だったのか。言わずもがな、その答えは現在が教えてくれるだろう。

※2018年10月20日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 中塚一晶

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