日本人初、仏で三つ星獲得のシェフが語る目標 抱えた重圧、今後も挑戦者 小林圭さんインタビュー

 フランスの2020年版のミシュランガイドが1月下旬に発表され、小林圭さんがオーナーシェフのパリのレストラン「KEI(ケイ)」が三つ星を獲得した。フランス料理の本場で日本人シェフが三つ星を獲得したのは初めて。今後も挑戦者であり続けたいという小林さんに、これまでの重圧やこの先の目標、趣味にいたるまで、思う存分語ってもらった。(共同通信パリ支局長=永田潤)

インタビューに答える小林圭さん

 ▽フランス、三つ星は30以下

 ―三つ星を取った気持ちは。

 「ミシュランは1年ごとに見直される。金メダルと違い、一生付いてくるわけでもない。元三つ星シェフとなる可能性は多くある。三つ星を守るのではなく、来年の三つ星を取りに行く。三つ星を狙っている実力のあるシェフはたくさんいる。でも(フランスで)三つ星レストランの数は30以下。来年から45になることはない。入れ替えられないよう、三つ星の中のトップを目指す」

 ―二つ星から三つ星を取るまでの3年間は長かった? それとも短かった?

 「皆には短いと言われる。ずっと三つ星を狙っていたので、長短よりもほっとした。自分はきつい性格をしているので(従業員に)怒ることもある。自分たちがやっていることに評価が付いてくると見せることができた。お客さんも付いてきてくれている。まずお客さんがいることがレストランが生きること。それが一番重要だと思う」

 「ここ何カ月か『どうなの』『(星)取れるの』とフランス人のシェフやジャーナリストからずっと言われてきた。眠れなくなるような相当の重圧だった」

小林圭さん(中央)とアラン・デュカス氏(右)=パリ(ロイター=共同)

 ▽美食は心を満たすアート

 ―三つ星を取ることにどんな意味があるか。

 「三つ星は一つの評価。世界一のレストランになりたい。訪れるお客さんに今までの人生で一番のレストランと思ってもらいたい。ミシュランの調査員も含め皆がそう思えば三つ星は付いてくる。だから三つ星は必要」

 ―三つ星へ何が成長したと思うか。

 「この1年で急に良くなったわけではない。(一つ星から)二つ星を取るまで5年かかった。長かったが、いろいろ試し、もがいて良い道が見つかった。一皿ずつ(コースの)構成も深く考えるようになった。自分たちが作っているのは音楽と一緒で、盛り上げる所と抑制する所、両方必要。お客さんに味を考えさせる料理は疲れるので二つまで。分かりやすい料理とうまく組み合わせる」

 ―正確さや綿密さが特徴と指摘された。

 「戦争する際に竹やりを持っていくのか、少ない人数でも良い武器をそろえて行くのか。自分は良い武器をそろえる。(独立前の師匠である三つ星シェフのアラン・)デュカスさんのレストランと比べ、人数は負けている。料理人やサービスのレベルもかもしれない。自分たちはチーム一丸となり使える武器は全部使う。正確さといってもデュカスさんより良いやり方を見つけないといけない」

 ―料理は色も美しい。

 「私たちは五感の勝負をしている。ガストロノミー(美食)はアートの世界で、おなかを満たす料理ではない。ある意味いらない料理。でも心を満たす料理でもある。もちろんおいしくないといけないし、エレガントで美しくないといけない」

代表作ジャルダン・ド・レギュム・クロカン

 ―季節野菜を多種類使うジャルダン・ド・レギュム・クロカン(カリカリ菜園)が代表作とされる。

 「常に上を目指したいので代表作にしたくはなかった。ただ、また食べたいというお客さんが多く、今の自分の一番良い物をと思って作り続けている。甘味、酸味、辛味、苦味、全て入っている。世界各地で作る機会があるが、育つ水で野菜の味が違うので、野菜の組み合わせも変える」

 ▽自分の場所つくってくれたフランスに感謝

 ―ミシュランは「風味の名人」と称賛した。

 「自分の味を信じるしかない。三つ星シェフは自分の世界を作らないといけない。最近は同じ皿に盛ったら誰が作ったか分からないことがあるが、自分がフランスに来た二十数年前は、三つ星シェフの料理は見て誰が作ったか分かった。そういうシェフになりたい」

 ―自分の味に不安は。

 「いつでも不安。料理に(絶対的な)基準はない。時代に合わせて自分たちも変わらなければならない。今の料理が完璧ということはない」

 ―受賞のあいさつで「フランスに感謝したい」と述べた。外国人として苦労もあるのでは。

 「それはいつでもある。でも日本人の自分に(フランスの)シェフが誠意をもって教えてくれた。この(レストランの)場所はフランス人の二つ星シェフが譲ってくれた。現在の客は60%がフランス人で残り40%は世界から。世界中の人と知り合える。自分の場所をつくってくれてありがとうと、感謝しかない」

小林圭さんのレストラン「ケイ」の入り口=パリ(共同)

 ―この先の目標は。

 「レストランは1軒で十分。疲れるので(笑)。9年前始めたときは無名の石ころだった。少しずつ磨いて、今やっとダイヤの原石になった。これからカットをし(さらに)磨いていく。世界の人がここへ来て『買いたい』と思わせる輝きのレストランにしたい」

 ―料理以外に何が好きか。

 「時計とか。前にしか進まない所や、精密機器なので一つでも歯車が狂えば動かない所、自分たちの職業と共通項がある。コレクションについては言わない方がいいかもしれない(笑)」

 ―金髪はフランスに来てからか。

 「フランスに来て最初にホテルに泊まった際、2日目に染めた。(黒の)印象が重くて嫌いだったからだが、人に覚えてもらえる。今でも『あのときの日本人だよね』と言ってもらえる。それは必要。輪が広がる。日本では『染める前に仕事しろ』と言われた。『自分は仕事をする。何がいけないんだ』と思った」

 ―料理の道を選んで良かったか。

 「どうだろう。今は評価が付いてきたが、自分が一番の料理人と思ったことはない。一番になりたいと思っていても。ただ世界各地で料理を作らせてもらい、(食べてくれる)人たちと仲良くなれ、ある意味感謝もしてもらえる。やはりやって良かったと思う」

料理をする小林さん=パリ(共同)

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 こばやし・けい 1977年、長野県生まれ。93年から長野県や東京都でフランス料理の修業をし、98年に渡仏。各地のレストランで勤務した後、アラン・デュカスさんがパリに構える三つ星レストランへ移り、副料理長も務めた。2011年、KEIをオープン。12年、一つ星を獲得し、17年に二つ星へ昇格した。

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