みんな覚えがアルジャロウ? AOR定番「モーニン」と てんぱいぽんちん体操 1983年 4月 アル・ジャロウのシングル「モーニン」がリリースされた月

アル・ジャロウ、1つのカテゴリーに収まりきらない特殊なポジション

アル・ジャロウが亡くなった。グラミー賞をジャズ(1982)・ポップス(82)・R&B(93)と3つの異なる部門で獲得した史上初めての人である。76歳でその生涯を閉じたのは、2017年2月12日〔ロサンゼルス現地時間〕おりしも第59回グラミー賞発表の日であった。

アルは、偉大なミュージシャンではあるが、ちょっと特殊なポジションの人だったかもしれない。その真骨頂は、自分の声をまるで楽器のように操るスキャットにある。彼が75年にメジャーデビューした時に、レコード会社が付けたキャッチコピーが「驚異のパーカッション・ボイス」。ボーカリスト=歌をうたう、というよりも、ギタリストやキーボーディストと同じように「声帯を使って演奏する人」というのが実像に近い。

そしてメディア各社が報じたように、ジャズ/フュージョンでもあり、ポップスでもあり、R&B でもあり… と一つのカテゴリーに収まりきらない人であった。が、その器用さゆえに軸足がどこにあるのか分かりにくい(ボーダレスとも云えるが、どのジャンルなのか判然としない)。それが日本では(米国での知名度に比べて)「通好み」にとどまってしまった理由ではないか。 USA・フォー・アフリカやウィー・アー・ザ・ワールドの PV に出てくるものの、日本人からは「ジャロウって何ジャロウ?」という感想を持たれてしまいがちだったことは否定できない。

ジェイ・グレイドン=デイヴィッド・フォスターの「AIRPLAY」コンビが参加!

とはいえ、彼の代表曲『MORNIN' / モーニン(83)』は、実はみんな知らず知らずのうち耳にしているはず。メロディを聴けば、「あぁ…」と覚えがアルジャロウ。今でもTV・ラジオで、朝の情報番組などの BGM としてよく使われている曲だ。AOR ファンにおなじみジェイ・グレイドン=デイヴィッド・フォスターの「AIRPLAY」コンビと、アルの3人での共作である。はずむシャッフルビートは TOTO のジェフ・ポーカロだ。

グレイドン=フォスターは、EW&F やボズ・スキャッグスなど、黒人ソウルと白人ロックを巧みにミックスすることで80年代のポップスシーンを席巻するわけだが、同時にもう一つの黒人音楽であるジャズへのアプローチも試みていた。マンハッタン・トランスファーやジョージ・ベンソンの作品群である。ソウルとジャズ ー その2つをポップロックと融合させたい彼らにとって、アルはうってつけの素材だったジャロウ。事実、ジェイ・グレイドンは『THIS TIME(80)』『BREAKIN' AWAY(81)』『JARREAU(83)』『HIGH CRIME(84)』と4枚もアルのアルバムをプロデュース、いずれもが名盤と云われている。

月曜深夜のテレ朝バラエティ「グッドモーニング」のオープニングテーマ

ちなみに『モーニン』が日本の TV で大々的に使われるようになったきっかけは、84年4月から始まったテレビ朝日・月曜深夜の『グッドモーニング』というバラエティ番組である。まちがわないで欲しいのだが、いま同じ局で朝に放送している同タイトルの番組とは丸っきり異なる。{世界一早いモーニングショー}というふれこみで、その OPテーマに『モーニン』(ただし、デイヴィッド・フォスターのインスト版)が使われていた。

深夜の0時台に「おはようございます!」を連発する出演者は大島智子、中村ゆうじ、そして… オナッターズ(お色気担当の三人娘、なんと小川菜摘がメンバーの1人)。目玉は水島裕子の「てん・ぱい・ぽん・ちん体操」。どれだけくだらなくて面白い番組だったかは、テレ朝の社史では殆ど無かったかの様にされている現状からお察しください(笑)。

※2017年2月18日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: @0onos

© Reminder LLC