画像は『超二流: 天才に勝つ一芸の究め方』より
2月11日、日本プロ野球界隋一の名捕手にして名将だった野村克也さん(84)が亡くなりました。テレビ各紙では野村さんの栄光や、ボヤキのノムさんとして慕われた人柄を報じています。なかでも2年前に亡くなったサッチーこと妻の沙知代さんとの「夫婦愛」に焦点が当たっています。ですが、そもそもノムさんとサッチーは「ダブル不倫」から誕生した夫婦だったわけで…。
くしくも、2年前にこの世を去った妻の沙知代さん(享年85)と同じ「虚血性心不全」が死因。その沙知代さんが亡くなった際、野村さんはテレビの取材に「どうやって生きていけばいいんだろう…」とコメントしていましたが、その憔悴ぶりには身に迫るものがありました。
野村さん夫妻は、2010年には「いい夫婦の日 ベストオブザイヤー」(ちなみに同じ年の受賞者は佐々木健介さんと北斗晶さん夫妻)に選ばれるほど、世間から認められた「おしどり夫婦」でした。
ただ、いまやテレビでは誰も触れませんが、そもそも二人は「ダブル不倫」から始まった結婚だったのです。
野村克也さんと沙知代(旧姓伊東)さんが出会って付き合い始めたのは1970年、当時はお互い既婚者で子どももいました。野村克也さんの元妻は南海電鉄の社長令嬢で、沙知代さんの元夫は米軍将校のアメリカ人男性(メジャーリーグのエージェント団野村氏はその息子)でした。
1978年に野村さんは元妻との離婚が成立し、沙知代さんと再婚しました(沙知代さんは1976年に元夫と離婚)。長らく不倫状態が続いていたことになります。
その関係が世間にばれた際、野村さんは南海ホークス(ソフトバンクホークスの前身)の選手権監督としてすでにスターでしたから、思いっきり世間を敵に回してしまいます。お互いに子どももいてのダブル不倫ですから、東出昌大さんや鈴木杏樹さんへのバッシングどころじゃありません。
ただ、雲隠れする東出昌大さんや、謝罪文で匂わせる鈴木杏樹さんとは、野村さんは違いました。
南海の後援会長から「お前、野球できんようになるぞ、女を取るか、野球を取るか」と諭されますが、野村さんはこう答えます。
「仕事は世の中にたくさんあるけど、伊東沙知代は世界にただ一人しかおりません」
2001年の阪神監督時代、沙知代さんが脱税で逮捕(懲役2年執行猶予4年)された責任を取ってクビになった際も、その記者会見で「離婚は考えているか」との質問に即座にはっきり応えます。
「一切考えていません」
不倫が叩かれまくられて、不倫した方も逃げまくる昨今ですが、世界中を敵に回そうとも、野村さんのように不倫から始まろうが「愛」を貫く姿勢に感銘を受けた人たち(矢口真里さんとか)も多いのではないでしょうか。(文◎編集部)