長崎の「二重被爆者」山口彊さんの教え子いませんか 23日に「没後10年の会」 長崎市立図書館で

「二重被爆者」の故山口彊さん。戦後、教員をしていたときの教え子を関係者が捜している(稲塚さん提供)

 広島、長崎で原爆に遭った長崎市の「二重被爆者」で、2010年1月に93歳で死去した山口彊(つとむ)さん。東京の映画監督、稲塚秀孝さん(69)は、山口さんが終戦後の8年間ほど同市の中学校で英語を教えていたときの教え子を捜している。「山口さんが当時、若者にどんな話をしていたか知りたい」として、今月23日に同市で開く「没後10年の会」で話を聞きたい考え。

 没後10年の会は、反核平和を訴えた山口さんの遺志を家族らで受け継ごうと、長女山崎年子さん(71)ら「山崎家」が主催。誰でも参加できる。稲塚さんは同会の世話人を務めている。
 山口さんは三菱重工業長崎造船所(長崎市)の設計技師だった29歳のとき、派遣先の広島で被爆。やけどを負い長崎に戻った後、再び被爆した。終戦後に解雇された後の1948~55年ごろ、中学で英語の代用教員をし、その後、同造船所に復職した。生前の講演では、福田、西泊、高島の各中学校で教えたと語っていた。
 稲塚さんが調べたところ、49年3月~53年12月に高島中に在籍していたのを確認。それ以外は確認できていない。当時の生徒が存命なら80代になるが、現在まで見つかっていない。稲塚さんは「生徒も被爆者だったかもしれず、原爆や戦争について伝えていたかもしれない」と話す。
 「没後10年の会」は23日午後6時15分から、長崎市興善町の市立図書館多目的ホールで。山口さんのひ孫の原田晋之介さん(市立淵中1年)が、曽祖父の被爆体験を語る紙芝居を上演。ほかに稲塚さんが山口さんを撮った映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」(2019年)の上映、生前の講演を基にした朗読の上演などがある。
 問い合わせは稲塚さん(電090.3433.6644)。

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