海苔漁師がピアノ曲「ラ・カンパネラ」をフジコ・ヘミングの前で披露した理由とは?

©株式会社ニッポン放送

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

寿司に弁当、おにぎりと、日本人の食生活に欠かせない海苔。多くのすぐれた海苔を産出する有明海に面する佐賀県は、生産枚数・生産額とも16年連続で日本一を誇っています。

佐賀市・川副町の海苔漁師である徳永義昭さん(59歳)は、高校を卒業後、家業の海苔養殖を継ぎました。有明海の海苔の旨さについて胸を張ります。

ピアノコンクールでの徳永義昭さん(左)(徳永さんのFacebookより)

「有明海は干・満の差が激しくて、海面が6メートルも上下します。ですから干潮のときは、海苔の網が完全に海から上がって乾いてしまう。この際にしっかり殺菌されるので、やわらかくていい海苔が育つんです。寿司を巻いた有明の海苔は、口のなかで溶けてしまう。だから旨いんです」

その海苔の摘み取りは、水が冷たいこの季節が最盛期。夕方の5時に海に出て11時まで作業。翌朝は5時~11時まで海に出る。潮の満ち引きに合わせて、厳しい海苔漁師の日々が続きます。

「海苔漁は毎年9月~3月まで。4月~8月はヒマなんです」…こう言って笑う徳永さんが、かつてハマってしまったのがパチンコでした。

「朝9時半に店の前に並んでね、10時の開店から6時までびっしり、毎日8時間打ちました」

パチンコのために徳永さんが用意した軍資金は、70万円! しかしある年、その70万円をたった2ヵ月で使い果たしてしまいました。徳永さんは、妻の千恵子さんの財布に手を出すようになったと言います。

※画像はイメージです

ところがある日、その財布を開いてみると千恵子さんの手書きのメモがあり、こう書かれていたそうです。

『とるな!』

つくづく情けなくなった徳永さんは、ぷっつりとパチンコをやめました。

唯一の趣味を封印しヒマを持て余して、何気なく見ていたテレビで、女性のピアニストが聞き覚えのある曲を弾いていました。徳永さんは思ったそうです。

「ああ…この曲を弾いてみたいな」

ピアニストの名は、世界のひのき舞台で活躍するフジコ・ヘミングで、弾いていたのは「ラ・カンパネラ」。有明海の海苔漁師と世界的ピアニストの出会いの瞬間でした。

ビクターエンタテインメント『奇蹟のカンパネラ』演奏:フジコ・ヘミング(※画像はAmazonより)

フランツ・リスト作曲の「ラ・カンパネラ」は、ピアニストも敬遠するという難しい曲。「リストの手が並外れて大きかったので、あんな曲を作れたのだ」という珍説を唱える人もいるほどです。

ピアノ講師の妻、千恵子さんは「この曲を弾きたい」という夫の無謀な夢を、「バカなの? 絶対に無理!」と思ったと言います。しかし、1度こうと決めたら何事も徹底してやるのが、徳永さんの性格。

「家に女房のピアノがあったものですから、ポロポロさわってみたのです」

楽譜も読めない、楽器の経験もなし、奥さんも取り合ってくれない。そんな徳永さんの唯一の友は、YouTubeの映像でした。ポン、ポロ、ポロ、ポン…音を拾いながら指に記憶させる、地道な練習です。

※画像はイメージです

「ラ・カンパネラ」を演奏するには、4073ヵ所の鍵を叩く必要があると言います。4~5秒程度をワンフレーズに区切り、右手で2時間、左手で2時間、両手で4時間。徳永さんはパチンコに費やしていた1日8時間をすべて、ピアノに注ぎ込みました。

海苔漁でかじかんだ指先は、お湯につけて動くようになってから弾きました。黒鍵と黒鍵の間にはさまって動かない漁師の太い指…。「それは、自分流の押さえ方で弾きました」と振り返る徳永さん。

数々の困難を克服し、途中でかかった腱鞘炎の痛みにも耐えて、7年が経ちました。徳永さんはついに最後の鍵まで辿り着いたのです。

「ラ・カンパネラを弾ける漁師がいる!」というウワサはたちまち広がり、取材が殺到しました。しかし、徳永さんは言います。

「私はピアニストが弾くといった意味合いで、カンパネラを弾けると言ったことは1度もありません。小さなテクニックのことを考えれば、まだまだです。飲み屋のおねえちゃんの前で弾いたらモテるだろうなとか、子どもたちに聞かせたらビックリするだろうな、という思いで始めたピアノなのですから。でも女房に『ここまでできたよ』と言うと、褒めてもらえたんです。それは嬉しかったですね」

※画像はイメージです

さて、こんな徳永さんをあるテレビ番組が放っておきませんでした。楽屋部屋に入ると、そこに座っていたのは何とフジコ・ヘミング本人! 徳永さんは、目からあふれ出る涙を押さえきれなかったと言います。

そして、本人の前で弾くという企画も! 意を決してピアノの前に座りました。徳永さんの指先から流れ始めた「ラ・カンパネラ」…。弾き終えたとき、フジコ・ヘミングは「ブラボー!」と手を叩き、こう言ってくれたそうです。

「今度、私の銀座のコンサートで紹介するから、弾いてみませんか?」

汗だくの徳永さんは、こう答えたと言います。「いえ…私は海苔の仕事が忙しいので、弾けません」