南極観測隊の力仕事、記者が体験してみた 硬い雪、泥、ほこり…設備建設の現場でみたもの

 どこを見回してみても雪の白と空の青しか見えない絶景を目にしたかと思えば、泥とほこりにまみれながら黙々と設備の建設を続ける。日本から遠く離れた南の大地で活動する南極観測隊に記者が同行し、体験しながら見たものは、厳しい環境の中でも責任と誇りを持って作業する隊員たちの姿だった。(気象予報士、共同通信=川村敦)

白瀬氷河の上に設置した観測機器の保守作業をする小久保陽介さん(左)と青木茂さん(右奥)(共同)

 ▽硬い雪と格闘

 南極観測船「しらせ」を運航する海上自衛隊のヘリコプターから降りると、強烈な寒さと風が襲ってきた。ぐるりを見回してみても、見えるのは真っ青な空の下にどこまでも広がる平らかな雪原だけ。その中に無人磁力計の小さな太陽光パネルと、雪に埋めた機器の場所を示す竹ざおだけが、ぽつんとたたずんでいた。

 昭和基地のある東オングル島から60キロ強離れた「H68」と呼ばれる地点。観測隊は1月8日、無人磁力計の保守のためにここまでやってきた。メンバーは記者を含め6人。寒さと景色に声を失っていると、第60次隊で野外観測支援を担当する倉持武彦(くらもち・たけひこ)さん(52)の「まず防寒!」という大きな声が聞こえてきた。慌てて分厚い羽毛服を着て、厚手の手袋などを用意した。気温は氷点下9・5度、風速約11メートルの強い風が吹き付けており、晴れてはいても、とんでもなく寒い。

 機器はオーロラの観測に関連して地磁気の変化を測っている。作業は雪の下に埋まっている制御装置とバッテリーを掘り出すことから始まった。記者も作業に加わったが、雪がものすごく硬い。出身地である新潟の湿った雪とは全然違うもので、足でスコップを何度も蹴って雪を掘り返した。

 動くと汗をかくほど暑いのに、手を止めると寒くなる。眼鏡についた涙が凍った。倉持さんが立てたテントの中で休み、交代しながら掘り進めること2時間ほど。ようやく約70センチ下に埋まっていた装置が見えてきたころにはくたくたになった。その辺に置いていた荷物は地吹雪で半分くらいが埋もれている。    ここからの保守作業は第61次隊の山本貴士(やまもと・たかし)さん(48)と佐藤丞(さとう・じょう)さん(55)が担った。山本さんは無線機器メーカー「八重洲無線」(東京)のエンジニアとして働いていた経験を生かし、手際よく作業。2時間ほどでバッテリーの状態や機器の動作を確認し、データ回収などを無事に終えた。また雪を埋め戻すのも一仕事だ。

 この日の作業は日帰りだった。迎えのヘリが来るまでに荷物を片付け、記念写真を撮る隊員たちの顔には充実感が浮かぶ。会社を退職し、初めて南極に来た山本さんは後日、「一生に一度あるかないかのチャンス。本当に南極で活動するのかと半信半疑なところがあったが、南極に来たんだという実感が持てた」と振り返った。

深さ約70センチまで雪を掘り進むと、無人磁力計の制御装置などが姿を現した=南極大陸(共同)

 ▽氷河の上で弁当

 1月21日には、昭和基地からヘリで40~50分の「白瀬氷河」に降り立った。強い日差しで暖かい。H68のような内陸と違い、基地や白瀬氷河があるような南極大陸の沿岸部は、夏期なら、日によってそれほど厳しい寒さは感じない。雪に反射する太陽の光もまぶしく、同じ南極の夏でも、こうも違うものなのかと感じた。

 白瀬氷河を上空から見ると、まるで奔流する氷の大河のようだった。流れに沿って、氷の割れ目であるクレバスがいくつもあり、波のように小高く盛り上がった部分もある。

 見た目は美しい氷河だが、危険も大きい。足元には雪に覆われて隠れてしまっているクレバスがあるかもしれない。観測隊のヘリが着陸すると、最初に山岳ガイド経験を持つ第61次隊の野外観測支援担当、小久保陽介(こくぼ・ようすけ)さん(52)がピッケルを手に降りる。そして雪をつつきながら歩いて安全を確認した。

 その後、第61次隊隊長で北海道大の青木茂(あおき・しげる)准教授(53)が記者と共に降りる。「クレバスとクレバスの間ですね。けっこう起伏がある」。青木隊長がつぶやいた。移動できるのは、小久保さんが危険がないと判断した数メートルの範囲だけだ。

 白瀬氷河は幅が10~15キロで、長さが60~70キロ。先端は1年で約2・5キロ、1日数メートルの速さで流れ、海に浮く「棚氷」となっている。その上には、衛星利用測位システム(GPS)を使って、動きを測る観測機器が設置されている。

 青木さんによると、白瀬氷河は流れの速さが以前から注目されてきた。断片的な観測は1970年前後から行われ、棚氷の部分は10~20年規模の周期で大きさが増減してることが分かっている。

 この日は、2カ所に設置された観測機器の箱を開け、メモリーカードに入っていたデータを回収。さらにもう1カ所にある別の機器の状況を点検し、作業は約3時間で終了した。その後は昭和基地から持参した弁当をみんなで食べた。おかずのカキフライは保温容器に入っていたので温かい。空は晴れ渡り、風もない。氷河上で食べるのは、なかなかおつである。

 後日、青木さんは白瀬氷河の状況について「地球温暖化で大気中の水蒸気量が増え、白瀬氷河の流域では降雪量が増えているという見方は多い。ただ、将来どう変化していくかは分からない」と解説してくれた。観測隊は、今後も白瀬氷河の観測を続ける方針だ。

放球デッキのコンクリート固めの作業をする南極観測船「しらせ」の乗組員=昭和基地(共同)

 ▽汗と泥にまみれ

 観測隊が観測をするためには、昭和基地の設備の維持も重要な仕事だ。今回は、気象庁から派遣された隊員が上空の気温などを測る気球を放つ「放球デッキ」を建て替えた。昭和基地にいる人数は限られている。なので作業は建築の担当隊員だけでなく、医師や調理、観測などを担う隊員、南極観測船「しらせ」を運航する海上自衛隊の乗組員も手伝う。普段はデスクワークが中心の記者も、取材の合間をぬって1月27日に参加させてもらった。

 放球デッキは長さ14メートル、幅7・6メートルで、27日は土台のコンクリート固めをした。コンクリートは、基地内で砂利と水、セメントを混ぜて作る。バケツいっぱいに入った砂利を手作業でミキサーに入れ、空になったバケツに再びスコップで砂利を入れる。背筋にぐっと力を入れてバケツを持ち上げる。ずっしり重い。第61次隊の建築担当、寿松木一哉(すずき・かずや)さん(47)は「工場ならベルトコンベヤーで砂利が流れてくるんですけどね」とつぶやく。

 できた生コンは「ホッパー」と呼ばれる大きな容器に入れ、クレーンでトラックに乗せて建設現場まで運ぶ。夏期間の昭和基地は雪も少なく、岩や土が露出する工事現場そのもの。トラックが通ることのできる道はあるものの、舗装はない。でこぼこしており、徐行が鉄則だ。久々のマニュアル車に緊張しながら、記者が運転。時速10キロほどで慎重に進んだ。

 クレーンでホッパーを降ろしてもらい、スコップやバケツで型枠の中に生コンを流し込む。ホッパーの底を開いて直接流し込むこともできるが、細部は手作業になる。生コンはねっとりと粘り、ますます力が要る。この日は晴れ、作業中の気温は基地としては暖かさも感じる1度前後で、すぐに汗だくに。上着も泥とほこりにまみれになっていた。女性も参加し、型枠に入れた生コンの表面をならすといった作業をした。

 生コンが固まると、外した型枠を廃材用のコンテナに運ぶ。木製なので砂利や生コンよりは軽いが、何十枚もある。トラックに積んで降ろしてを繰り返すのはきつい。1日が終わるころにはへとへと。汗と泥にまみれ、背中や腕を中心に全身がこわばった。設備を維持するための苦労を垣間見ることができた。

 同じく建築担当の鯉田淳(こいだ・じゅん)さん(52)は、記者の仕事ぶりに「人手が少ないので助かった」とねぎらってくれた。その上で「何をしていいのか分からないという時間があった。もっと指示をすればよかった」。確かにその通りで、手が空いているのにどう手伝ってよいのか分からないときがあった。申し訳ない。

 その晩、宿舎の風呂で熱い湯に身を沈めた。いつも以上に気持ちが良かった。

第61次南極観測隊のヘリコプターから見た白瀬氷河

観測隊の活動|南極観測のホームページ|国立極地研究所

https://www.nipr.ac.jp/jare/activity/

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