【くまもと五輪物語】山本洋祐(下)天明中、宇土高での恩師が理想像 自主性求める指導者に

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稽古する選手らの様子を見つめる山本洋祐さん。背後に掲げるのは講道館柔道の創始者、嘉納治五郎が唱えた「精力善用 相助相譲 自他共栄」だ=東京都の日体大世田谷キャンパス(上杉勇太)
阿部詩選手が東京五輪での優勝を誓い、山本洋祐さんに贈った色紙は日体大柔道場の準備室に掲げられている

 日本体育大世田谷キャンパス(東京都)にあるスポーツ棟は巨大だ。メインアリーナやプール、体操や卓球など14競技の専用体育館を棟内に完備する。専用体育館の一つが柔道場。乱取りをする柔道部員の熱気が満ちる。

 夕刻に始まった男子の稽古は総勢約60人。出稽古に来た実業団や海外チームの選手の姿もあった。腕組みした柔道部部長の山本洋祐(日体大教授)は泰然自若。選手を見つめる視線は途切れない。

 「やらされる稽古ではいけない。指導者に強制された稽古が染み付き、日体大が重んじる自主性に戸惑う学生は多いが、私は中高の恩師に恵まれた」

 天明町(現熊本市)出身の山本が柔道を始めたのは中学1年。天明中で活躍した3歳上の兄信祐[しんすけ](40歳で死去)の影響だった。兄は、1984年ロサンゼルス五輪の男子無差別級金メダリストで、日本オリンピック委員会(JOC)会長の山下泰裕と同い年。山下の藤園中と競い、天明中を強豪校に導いたのが恩師の荒木節夫だ。

 「誰も見ていないところでの努力が最高の努力」。教えを受けた生徒たちは早朝ランニングなど自主練習に励んだ。

 「オリンピックに出て優勝したい、と考え始めた。全国や世界で活躍する先輩たちを見て、自分にもできないはずはないと。ただ、それまでの自分は何をやっても中くらい。柔道を極める道を歩み始めるのは、宇土高進学が分岐点になった」

 宇土高の中林厚生[こうせい]も「自分で考え、自分でやる」と自主性を求める指導者だった。主将を担った山本は、柔道部の練習メニューを自ら考え、助言を受ける日々を重ねた。中林は、乱取りの人数が足りないと進んで相手を引き受けた。その姿に理想像を見た山本は教師を目指し、中林の母校の日体大へ進む。

 指導者を養成する日体大。トップ選手は少なく、柔道で日体大初の学生王者は、大学2年で全日本学生体重別を制した山本だった。その後、世界王者となり88年のソウル五輪で銅メダルを獲得。しかし、けがに苦しみ敗者の屈辱を糧にした山本は指導者の道を歩む。そして今夏、教え子たちと東京五輪に挑む。

 「彼らを五輪の舞台で勝たせてあげたい。柔道は金メダルへの期待が大きいが、日本チームの目標は男女全階級でのメダル獲得。色は関係ない。選手たちの努力が成果となるよう貢献したい」

 日体大4年の阿部一二三(66キロ級)は五輪代表を確実視されながら山本と同様、けがに苦しんだ。3連覇がかかった昨年の世界選手権で敗退。昨秋のグランドスラム(GS)大阪の優勝で可能性を残し、選考への影響が大きいドイツ・デュッセルドルフGSが今月21日に開幕する。18年に一二三と共に世界選手権を制し、昨年も連覇した日体大1年の妹詩[うた](52キロ級)もこの大会に代表決定がかかる。

 日体大の柔道場。一二三は常に山本の前で組み、アドバイスを求める。「どうしたら強くなれるか、僕の柔道を一番理解してくれている心強い存在」。そして、山本のロッカーには詩の色紙が掲げてある。「東京五輪 優勝します!」。熊本出身の山本に、色紙を跳ね回るくまモンが「東京」での活躍を誓っている。

■取材後記 敗者が知る「底の深さ」

 全柔連の強化コーチを長く務め、指導者としての地位を築いてきた山本さん。それでも威張ったところはなく笑顔が印象的だ。「なぜだか、洋祐先生と呼ばれるんですよね」。それも後輩たちが寄せる信頼の表れだ。金メダルを逃したソウル五輪も「自分は戦犯」と笑い飛ばすが、その言葉はずしりと重い。敗者が知る「底の深さ」をかみ締めるからこそ、壁にぶつかる教え子を次のステップへ導けるのだろう。教授として柔道に関する論文も数多く、あらゆる面で柔道界を支える。東京五輪で教え子の活躍を喜ぶ山本さんの笑顔が楽しみだ。(小多崇)