叶わなかった1月28日のインタビュー 野村克也さんへの取材、1時間前に“中止”に

2019年のヤクルトOB戦に出場した当時の野村克也さん(左から3人目)【写真:荒川祐史】

1月28日にインタビューが予定されていたが…1時間前に「体調不良」でキャンセルに

 南海(現ソフトバンク)などで活躍し、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也さんが、11日に虚血性心不全のため84歳で死去した。Full-Countでは、先月28日に野村さんに初めてインタビューを行う予定だったが、直前に体調不良の連絡を受けてキャンセルに。突然の訃報のちょうど2週間前のことだった。

 野村さんへのインタビューでは、聞きたいことが山ほどあった。メジャーリーグで今年から投手のワンポイント登板が禁止になること、セ・リーグでのDH制導入が議論されていること、“現役選手ドラフト”の導入が検討されていること、田中将大投手に似ていると絶賛していたヤクルトのドラフト1位・奥川恭伸投手のこと、などなど……。ただ、取材は叶わなかった。

 インタビューを設定してくれたマネージメント会社の担当者からの電話が鳴ったのは、インタビュー開始の1時間前。いや、すでに1時間を切っていた。理由は体調不良。これだけ直前でのキャンセルは、かなり珍しいことだったようだ。当日は雨が降っており、最高気温6.8度、最低気温0.6度という極寒だった。

 2008、09年と前職で楽天担当を務めていた記者は、影の薄い存在だったため野村さんには認識されていなかったと思うが、久々に話をじっくり聞けることを楽しみにしていた。当時、ダグアウトで野村さんの周りを取り囲んで聞いた話はまさに野球記者人生での“財産”となっている。同じ話が何度出てきても飽きなかった。

 それだけに、キャンセルの連絡を受けたときに残念な気持ちがなかったわけではない。ただ、すぐに心を支配した感情は「心配」だった。思わず「監督は大丈夫ですか?」と聞いたところ、心配するようなことではないとの説明を受けた。その言葉に安心したが、まさかこんなに早く死去の知らせを聞くことになるとは思わなかった。

 野村さんは、自宅の浴槽でぐったりしていたところを家政婦が見つけ、病院に搬送されて死亡が確認されたという。本当に突然の訃報だったようで、インタビュー当日の体調不良も一時的なものだったのだろう。もう少し天気が良ければ、暖かければ、野村さんの話を聞くことができたかもしれない。もしインタビューが実現していたら、どんなことを語ってくれたのだろうか。いつまでも日本球界への“ノムさん流”の提言を聞きたかった。(清水友博 / Tomohiro Shimizu)

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