長崎県下一周駅伝 西彼・西海チーム 恩師しのぶ 3日間「先生」とともに

元総監督・故 齋藤洋さん 喪章に思い込めて力走

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「齋藤先生」への感謝を胸に、喪章をつけて3日間407.3キロを走り抜いた選手たち=西彼時津町

 407.3キロの間、ずっと「先生」と一緒だった。16日に閉幕した郡市対抗県下一周駅伝。西彼・西海の全メンバーは3日間、昨年12月に64歳で他界したチームの大先輩、齋藤洋さんをしのぶ喪章をつけて走った。中学保健体育教諭として多くのランナーを育成した恩師への思いが詰まった「水色のたすき」が、県本土全域を駆け巡った。

 齋藤さんは長崎南山高から早大に進学、箱根駅伝に3回出場した。県下一周も在学中から出走。現総監督の辻川学さん(65)らとともに、1977年の初優勝などに貢献してきた。
 大学卒業後、平戸市立生月中に赴任。県内各地で生徒と一緒にグラウンドに立ち続け、2011年は県下一周の総監督を務めた。校長になっても運動会で元気に走った。定年後は西彼長与町立長与二中で指導。今大会もコーチとして“参戦”するはずだった。
 中学時代の同級生で妻の恵美子さん(64)との間に生まれた渉さん(40)、卓さん(37)、健さん(33)も元ランナー。「おやじにいろいろ言われた記憶はないけど、気づいたら走っていた」。3兄弟そろって県下一周も出場した。
 体調に異変を感じたのは昨夏。それでも、家族が勧めた病院に行かずに指導を続けた。その後、10月に検査を受けてみると、事態は急変した。急性骨髄性白血病だった。入院して無菌室に入り、同月末に生まれた4人目の孫には会えなかった。「もうすぐ箱根駅伝たい」。息子たちがそう励ます中、血液の移植を前に息を引き取った。12月14日、64歳の誕生日だった。
 通夜には会場の外まで参列者があふれた。優しくほほ笑む遺影の前で涙を流す教え子たち。西彼・西海チームだけではなく、県内外の幅広い世代の関係者が早すぎる別れを惜しんだ。
 今大会の1週間前、高校の先輩でもある辻川総監督が全員に喪章を配った。チームが掲げたスローガンは「水色襷(たすき)に想(おも)いを込めて!」。齋藤さんへの感謝を胸に、22時間4分43秒を熱く走り抜いた。
 齋藤さんの遺志を継いで今大会のコーチを務め、同じ中学体育教諭として約30年の交流があった島田勝之さん(61)はかみしめるように言った。「齋藤先生は“駅伝はやっぱり特別だから”と話していた。その言葉通りに、走ることが楽しいと思う子どもたちがこれからも増えてほしい」
 「先生」から受け取った心のたすきは、これからもずっとつながっていく。

多くのランナーを育て、今大会もコーチとして大会に参加するはずだった齋藤洋さん