17日の衆院予算委員会。安倍晋三首相は、立憲民主党の辻元清美幹事長代行の質問に「意味のない質問だよ」とヤジを飛ばしたこと(12日)について「不規則な発言をしたことをおわびします。今後閣僚席からの不規則発言は厳に慎むよう、総理大臣として身を処してまいります」と謝罪した。
だが、原稿からほとんど目を上げることなく無表情で読み続ける姿から受ける印象は、その内容とは全く逆のものだった。「原稿に何が書かれていても、謝罪する気など全くない」という強い意思すら感じさせた。そもそも首相の「謝罪」は、あくまで「ヤジを飛ばしたこと」に矮小(わいしょう)化されている。ヤジの内容、つまり立法府からの質問に対し「意味がない」と侮辱行為を働いたことへの謝罪は、全く無視している。(ジャーナリスト=尾中香尚里)
「ああ、またか」以外の言葉がない。
首相は国会で、野党に面と向かって批判されたり、答えたくない(または答えられない)質問をされたりすることへの耐性がなさすぎる。そういう状態に耐えられず、ストレスが爆発しそうになると、まともに答弁しない代わりに、自席から質問者にヤジを飛ばす。
あの時もそうだった。昨年11月6日の衆院予算委員会。立憲民主党などでつくる野党共同会派の今井雅人氏が、加計学園問題の獣医学部新設に萩生田光一文部科学相が関与を示唆した、とされるメモについて質問していた時、首相は今井氏を指さして「あなたが作ったのでは?」とヤジを飛ばし、謝罪に追い込まれた。その時の「謝罪」の言葉もこうだった。
「ただこれ、座席からですね、座席から私が言葉を発したことについては、これは申し訳なかったと思います」
ヤジを飛ばしたことについては、渋々ながらも謝罪する。しかし、ヤジの内容については、決して謝罪しようとしない。「政府にとって不都合な内容の文書を野党議員がねつ造した」とも解釈できるヤジの内容(個人的には今回の辻元氏へのヤジ以上に悪質な内容だと思う)は、言いっぱなしで放置したのだ。
首相はこの時「ここで私が答弁したことであれば、責任を持ってお答えするわけでありますが」とも発言している。答弁に残せば発言に責任が生じることを承知のうえで、あえてヤジという「責任の伴わない」言葉で、自らの鬱憤(うっぷん)を晴らしているわけだ。
首相の国会での態度について、ヤジに加えてもう一つ、とても気になるものがある。自らに何らかの疑惑が向けられた時、疑惑の「挙証責任」を野党に求めることだ。
例えば前述の今井氏との質疑。首相は加計学園問題の獣医学部新設をめぐるメモについて「今井氏が明確な事実を示しながら『これは文科省で作られた』ということを示さない限り、これは議論にならない」と答弁した。
これはおかしい。国会における野党の役割は、政府のおかしな点を「問いただし」、政府に「答えさせる」ことにある。挙証責任はあくまで政府にあり、それを野党に求めるのは間違いだ。首相はそんなことは重々承知の上で「わずかでも不確かなことがあるなら追及をするな」と、暗に心理的な圧迫をかけているのである。
17日の衆院予算委でも同様の場面があった。
首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭について、辻元氏は、過去に前夜祭を開催したANAインターコンチネンタルホテル東京が「明細書を主催者に発行しなかった例はない」などと回答した文書を入手した。「明細書の発行は受けていない」という首相の従来の説明とは全く異なる内容だが、首相は自身の事務所がホテル側に電話で問い合わせた内容として「個別の案件は営業の秘密にかかわる」として、前夜祭での対応は辻元氏への「回答に含まれていない」と答弁した。
辻元氏の文書と首相の答弁で、ホテル側の見解が食い違ったことになる。辻元氏の後を受けて質問した小川淳也氏は、改めて首相の答弁の内容を書面で提出するよう要望した。これに対する首相の答弁が「私がうそをついているというのであれば、それを説明するのはそちら(野党)側ではないのか」だった。「説明」はおそらく「証明」の言い間違いだろう。
首相の答弁がうそだったかどうかは、この際あえて問わない。指摘したいのは、首相は自らの言動について「事実ではない」との疑念が生じた時、真摯(しんし)に疑念を晴らそうとはせず、逆に疑念を指摘した側に「事実でないことを証明せよ」と求める、そうすることで自らが真摯に答えることから逃げる、そんな政治姿勢の持ち主なのだ、ということだ。
繰り返したい。国会質疑において、野党が政府に対し何らかの疑惑の存在を指摘した場合、挙証責任は野党側ではなく、政府側にある。今回の前夜祭問題についていえば、首相自身にある。仮に野党側が挙証責任を全うし、疑惑が真実だという決定的な証拠を突きつけた時は、首相の言葉を借りれば、その時こそもはや「議論にならない」。政府に求められるのは、もはや「責任を取る」ことだけである。
ところで、今回辻元氏が突きつけた文書は、首相の過去の虚偽答弁を挙証するかなり決定的な証拠だと考えるのだが、首相はまだ「責任を取る」つもりはないのだろうか。