【MLB】「ここでダメだったら、もうダメ」 復活期す田澤純一が「野球人生を懸ける場所」

レッズ傘下マイナーの田澤純一【写真:佐藤直子】

メジャー復帰の道をサポートする「筑波大学学術指導プロジェクト」

 2020年1月、レッズ傘下マイナーの田澤純一は毎週月曜から金曜までを茨城県つくば市で過ごした。ウィークリーマンションを借り、腰を据えてトレーニングに励んだ場所、それが筑波大学だ。渡米12年目となる今年、2年ぶりのメジャー登板を目指す右腕が抱くのは、「バッターと本当に力と力でぶつかる駆け引きをしたい」という想いだ。

 ここ数年、メジャーでもマイナーでも、マウンド上では「バッターと対戦するというより、自分との戦い」だったと明かす。

「自分のフォームがなんかしっくりこなくて、バッター云々より自分との戦い、葛藤でした。『今のフォームはしっくりきたな、こないな』っていうことばかり考えていて、打者のことが考えられない。以前はガンガン腕を振って投げられたので、マウンドではバッターとどうやって駆け引きしようかを考えていた。でも、そのステップまで行けなくなっている自分がいました」

 傍目には打者と向き合っているように見えても、マウンドで戦っていた相手は自分だった。そんな状態でピッチングをしても、打席に立つのはプロの打者。当然、田澤の葛藤を見透かすかのように、ボールを軽々運ばれた。

「どんな時でも、やっぱり打たれれば悔しい。悔しいんですけど、自分が納得するフォームで投げて打たれるのと、しっくりこないと思ったまま投げて打たれるのでは、その悔しさが違うんです。自分なりにしっくりとくるフォームで、しっかりバッターと対戦して、本当の力と力のぶつけ合いをしたいなって」

 打者と対戦できていないと感じ始めたのは、レッドソックスに在籍した最後の年、2016年に右肩を負傷した頃だった。もう一度、打者と真っ向勝負をしたい――。復活の糸口を探る田澤を筑波大学へと導いたのが、同年からトレーナーとしてサポートするようになった井脇毅氏だった。

 筑波大学と言えばスポーツに関する研究が盛んで、動作解析やコンディショニング、指導論などを学ぶため、現役を退いた元アスリートたちも多く集う。同大OBでもある井脇氏は、野球部同期でスポーツ動作解析の第一人者、川村卓准教授に田澤の動作解析を依頼。その結果を基に、同大学の谷川聡准教授、福田崇准教授、そして井脇氏による「筑波大学学術指導プロジェクト」を結成し、田澤の体を見直すことから着手した。

 谷川准教授は五輪2大会連続出場の元陸上選手(110mハードル)で、現在は同大学でコーチング論・トレーニング論を教え、陸上以外にもサッカーをはじめとする多競技において指導に携わる。福田准教授は外科系スポーツ医学を専門とし、カナダの公認トレーナーライセンスCATCを取得。大学ではアスレチックトレーナーの養成を行いつつ、日本中央競馬会、スピードスケート日本代表チーム、国立スポーツ科学センターでのトレーナー活動なども行っている。

レッズ傘下マイナーの田澤純一【写真:佐藤直子】

筋量はあっても自重を操れず「『え、できない…』と自分で愕然としました」

 2009年に22歳でレッドソックス入りした田澤は、それまでメジャー式のトレーニングを積んできた。ウエートトレーニングを軸とした筋力アップと体作りに専念。2013年には鉄壁のセットアッパーとしてワールドシリーズ制覇に貢献するなど、結果は出た。だが、時は流れて迎えた30代。否が応でも迎える体の変化に合わせて、トレーニングもまた見直す必要があった。

 筑波大学に訪れるようになった当初、田澤はプロジェクトチームの面々に「この体でよくピッチングをしていたね」と驚かれたそうだ。ウエートトレーニングで身に付けた筋肉に覆われた体は、自重すらコントロールできなかった。田澤は「重り(ウエート)を持つべき体になっていない。その前段階のトレーニングをしよう」と言われたことを覚えているという。

「自分の体を全く操れていなかったんです。例えば、何もない場所で腹筋をしてって言われても、うまくできない。『え、できない……』と自分で愕然としました。重い負荷のマシンは動かせても、何も重りを持たずにする簡単な動きで自分の体重が支えられないんです。それを見ていた大学関係者の方に『2週間でできるようになるよ』ってサラッと言われたんですけど、僕は結局、2年掛かりました(笑)」

 決してウエートトレーニングが悪いと言っているわけではない。ウエートトレーニングが必要な年代もあるし、相性がいい人もいる。どんなトレーニングが合うかは十人十色。ただ、田澤の場合、自分の体を自由に操れるようになる前に大きな筋肉で“武装”したため、肩甲骨や股関節周りなど柔軟性が求められる場所が窮屈な状態になり、動きが制限されていた。どうしたら制限されていた動きを解除できるのか。

 田澤が筑波大学で取り組むトレーニングは、主に体の部位の連動と、動きのバランスを意識したものだ。例えば、腕を上げるには肩、上腕、背中、胸部などの筋肉が連動し、肩の関節を動かしている。より高く腕を上げるためには、上げるという動作をする前に、関係する筋肉がより柔軟に動くようにトレーニングで整えておけば、高く上げるという結果が得やすくなる。1つの動きの成り立ちをより細やかに探り、一見あまり関係ないように感じる部分から丁寧に整え、目指す結果に近付いていく。この作業は、発熱をした時に解熱薬で症状を緩和させる即時の効果を狙う対処療法ではなく、発熱の原因を探ってそこから整える根本療法に似ているのかもしれない。田澤にはこういった考え方が「新鮮だった」という。

「例えば、速く走るためにはもっと腕を振って足を高く上げなさい、というアドバイスではないんです。体のAという部分に力を入れる意識、Bという部分の柔軟性を高める意識でトレーニングした後で、もう一度走ってみよう。ほら、前より少し腕が振りやすくなって、足も上がりやすくなったよね。その結果、スピードも上がったね、という感じ。それまで僕の中にはなかった考え方だったので、すごく新鮮でした」

週5日を過ごした筑波大学でのトレーニング「自分の野球人生を懸けるつもり」

 当初はオフを過ごす横浜から週に1、2回のペースで筑波大学に通い、トレーニングを続けた。自重や軽いウエートで行うトレーニングは想像以上にきつく、簡単そうに見えてできない動きの多さに驚きの連続だった。だが、できなかった動きが少しずつできるようになり、効果を実感できるようになると、今度は自分で「このトレーニングをすれば、あの動きができるようになるのでは」「この動きができないから、あのトレーニングをしよう」と繋がりをイメージできるようになってきた。

「僕はしっかり勉強している学生とは違うので、体に対する理解が深まったというわけではないんです。ただ、この年齢になっても、トレーニングの積み重ねでできる動きが増えている。今までにない感覚を味わうことができたというのが、僕が筑波大学でトレーニングしたいと思う理由です」

 過去の良かった時期の動きに戻すのではなく、今の自分ができる動きの引き出しを増やすイメージだという。「過去を求めるのではなく、今ある状態の100%をどうやって出すか。少しでも自分ができる動きを増やして、それがいい投球フォームに繋がればいいと思います」と話す。トレーニングを続ける一方で、投球動作を解析してもらい、「投げる動作に絶対に必要なことを学ばせてもらったり、自分に何が必要なのかアドバイスをいただいたり。体の動きが一方に偏りすぎていないか、左右のバランスを見て、整えていただいています」。明るい表情こそが、4年の積み上げを実感している証拠だろう。

 昨シーズンは渡米11年目にして初めてメジャーでの登板がなかった。もう一度、メジャーに上がり、打者と真っ向勝負したい。その思いに駆り立てられ、今年は年明け早々から5週間にわたり月曜から金曜まで週5日を筑波大学で過ごした。そこには静かな決意も潜んでいる。

「自分の野球人生を懸けるつもりでやっています。筑波大学にはいろいろな設備が整っていて、いろいろな考え方をする人たちがサポートしてくれている。ここでやってダメだったら、もうダメ。残りの野球人生、どうあがいても上がらないんじゃないかって、自分の中では思っていて……。ただ、今は『ここができるようになった』『あそこができるようになった』ということを少しでも感じられるので、まだ野球を続けたい、一生懸命にやりたいという活力になっている。もちろんトレーニングはきついですけど、うまくできる動きが増えたり、フォームも良くなっているのを感じられる。自分で自分はまだいけるって信じられているので、楽しいです」

 プロジェクトを立ち上げ、サポートを続けてくれる川村准教授、谷川准教授、福田准教授には感謝の気持ちでいっぱいだ。そして、筑波大学との縁を繋ぎ、シーズンを通じてサポートに徹してくれる井脇トレーナーには足を向けて寝られない。「人との出会いや繋がりは本当に大きいと思います」。その他にも周囲で支えてくれる数多くの人々に応えるためにも、今シーズン、2年ぶりのメジャー登板を果たす意気込みだ。

 渡米してから12度目の春。アリゾナ州グッドイヤーから田澤純一の挑戦が始まる。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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