「もめにもめた」停車駅

加賀温泉駅の駅名標

 【汐留鉄道倶楽部】「オーストラリアの首都はどこ?」と聞かれると、「シドニー」と答えがちだが、正解はキャンベラだ。シドニーとメルボルンで首都争奪戦をした結果、「あいだを取って」キャンベラに決まったとか。

 鉄道界にも似た話がある。筆者が住む福井県から北へ、舞台は山中・山代・片山津など複数の温泉街が点在する石川県南部の加賀温泉郷。ここを訪れる観光客にとって鉄道の玄関口になっているのが、多くの特急が止まる北陸本線「加賀温泉駅」(加賀市)だ。23年春ごろには新幹線駅も開業する観光地のターミナルなのだが、この駅の背景には激しい「停車駅争奪戦」がある。

 時をさかのぼること半世紀以上、温泉への玄関口は、山中温泉が「大聖寺(だいしょうじ)駅」、山代・片山津温泉が「動橋(いぶりはし)駅」と、両駅に分散していた。2駅のあいだに「作見駅」という小さな駅があり、この時点では「加賀温泉」と名乗る駅は存在しない。

 そんな中、いわゆる「サンロクトオ(昭和36年10月)」の白紙ダイヤ改正で、北陸本線初となる特急列車「白鳥」が誕生。すると大聖寺駅と動橋駅がある両地域のあいだで、特急停車駅をかけた争いが勃発する。この争いは激しかったようで、石川県史では「停車駅争奪戦がはなばなしく演じられ」、加賀市史にも「両駅ともに譲れない立場」「もめにもめた」などと記録されている。

 だが両駅は作見駅を挟み7キロほどの距離で、スピード面を考えても特急を両駅に止めるわけにはいかない。争奪戦の末、妥協案として俗に言う「千鳥停車」、つまり列車ごとに交互に停車させる手法でバランスをとった。たとえば大聖寺駅に止まる列車は動橋駅を通過、逆もまた然りといった具合だ。

 その後も特急「雷鳥」や「しらさぎ」が誕生し、両方に停車する列車も現れる中でも争奪戦は続き、「動橋駅をエスカレーター付きの橋上駅にして停車を集中させる」とか「一本化できる総合駅を新設」、「市役所最寄りの大聖寺駅を『加賀駅』に改称(それで特急をこの駅にまとめよ)」といった意見が出されていた。

(上)温泉郷の玄関口として機能し旅館の名前が書かれた多くのバスが出入りする加賀温泉駅、(下)ほとんどの特急は停車するため、ひっきりなしに列車がやってくる

 最終的に昭和45年、「中間にある作見に総合駅を新設し、特急停車を一本化」で決着がつき、争奪戦は終わりを告げる。こうして作見駅を改称して加賀温泉駅が誕生。新設にあたり駅舎を新築したが、おめでたいはずの着工式は経緯に鑑みて開かれなかったらしい。両側2駅は特急通過駅になり、新駅開業から5年後の年間乗車人員数は、開業前と比べ大聖寺駅で半分、動橋駅で4分の1まで減少したようだ。一方の加賀温泉駅は3倍以上になった。

 このあと現在に至るまで、加賀温泉駅は温泉郷のターミナル駅として成長を続ける。かつては大聖寺・動橋両駅から各温泉地へは、北陸鉄道線加南線(通称)が延びており鉄道でアクセスできたが、停車駅一本化の前後に順次廃止された。前述の県・市史には、モータリゼーションやバスへのシフトが要因とあるが、新駅誕生の影響が少なからずあったのかもしれない。ちなみに、現在の大聖寺駅にはごく一部だが特急が停車しており「返り咲き」している。

 ☆加志村拓(かしむら・ひろし)1992年生まれ。共同通信社記者。優等列車の停車を複数駅で取り合った事例は全国にいくつかあるようですが、加賀温泉駅のように「あいだを取って新駅」で決着がついたのは珍しいのでは。他に栃木県の那須塩原駅くらいしか思いつきません。

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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