本明川ダム建設事業 防災、にぎわい共存へ市民力

付け替え道路建設で大型車両が行き交うダム建設地近く=諫早市富川町

 青空が広がる13日朝、本明川の諫早駅付近から市中心部までの区間に架かる9つの橋の下の遊歩道沿いにそれぞれ設置された「本明川飛び石さんぽみち」の完成式が開かれた。整備したのは、本明川の活性化を考える市民団体「本明川オピニオン懇談会」と国土交通省長崎河川国道事務所諫早出張所。市民や観光客が河川敷や周辺の名所を歩きやすくする狙いだ。
 「川のにぎわいづくりへの第一歩」。同懇談会の中原信行代表(64)は声を弾ませた。約50人が集まった式典中も、遊歩道を歩いたり、飛び石を渡ったりする人が絶えなかった。
 案内板が設置された中流域から10キロほど上流に位置する富川、上大渡野両町。かつて水田や畑だった場所は今では雑草が生い茂り、付け替え道路の建設が進んでいる。「あの人もこの人もおらんごとなった」。寂しげな笑みを浮かべるのは、富川町の藤山徳二さん(72)。

 国の本明川ダム建設に伴い、移転対象となった両町の21世帯が、長年住み慣れた土地を離れ始めている。藤山さんら約10世帯は近くの町に土地を買い求め、集団移転する予定だ。「覚悟したこと。仕方がない」。藤山さんは今、家屋や墓地などの移転手続きに追われている。
 本明川ダムは1983年に予備調査が始まり、旧民主党政権時代の中断などを経て2013年、利水から治水に目的を変更して事業継続することが決まった。水没する県道などの付け替え道路建設は18年に始まり、ダム本体は24年度の完成を目指す。

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 ダム建設の背景には、多くの犠牲者を出した1957年の諫早大水害がある。この大水害と同規模の豪雨に再び見舞われた場合、諫早駅近くの裏山橋付近を流れる流量(毎秒1070立方メートル)のうち、約3割があふれ出てしまうという。
 そこで国は毎秒最大290立方メートルをためる洪水調節機能を備えるダムを上流部に建設し、中流、下流域の氾濫被害を軽減しようと考えた。
 しかし、紆余(うよ)曲折を重ねてきたせいか、関係住民の中には「防災目的のダムという認識が市民に浸透していないのではないか」との懸念もある。ダム建設予定地周辺のある住民は「下流域の安全のために、上流域の住民が苦渋の決断をしたということを理解してほしい」と漏らす。
 広大な調整池がある下流域では競技用ボートの練習拠点化が進んでいる。市街地の中流域も市民の生活空間として親しまれている一方で、上流域の住民は過疎化を案じる。1本の川でありながら、下流、中流、上流で暮らす住民たちの表情は対照的だ。
 地元住民や地権者でつくる本明川ダム建設対策協議会(159人)は、ダムの上流域に残る集落の利便性を高めるための道路整備や、本明川最上流部の富川渓谷周辺の河川整備といった地域振興策を国などに要望。藤山さんは「この土地に残る人が困らないようにしてほしい」と語る。
 将来的に上流域の住民との交流を目指す人たちもいる。川に関わる活動団体でつくる「本明川交流会」の鈴木勇次会長(76)は「現時点で交流まで至ってないが、本明川水系全体の姿を市民全体で考える必要がある」と指摘。防災対策と過疎対策、にぎわいづくりが共存できるか。これから市民の知恵と力が試されていく。

 


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