伊藤銀次 meets かまやつひろし、日本人離れした感覚を持ったコスモポリタン 1983年 12月23日 沢田研二のアルバム「G.S.I LOVE YOU」がリリースされた日

80年代のバンドブーム、その始まりはグループサウンズ!

80年代になって、僕や佐野元春や杉真理たちが、ロックの初期衝動のようなポップ・ロックを開花させることができた遠い要因に、タイガースやスパイダーズのようなグループサウンズ(GS)が60年代にがんばって、それまで日本になかったビートルズやストーンズのようなビート音楽を、日本の土壌に取り入れようとがんばってくれてたことがあるのだと思う。

ロックバンドミュージックはそこから始まって、やがては80年代のバンドブームへ、そしてイカ天へとつながっていくわけだ。

僕はティーンエイジャーのときに、その先輩たちの活躍をずっと応援しながら、早くも日本でこういった音楽をそのままやっていく難しさをアマチュアながら感じていた。そういう意味で、そんな僕に音楽の神が沢田研二さんの『G.S.I LOVE YOU』のアレンジの仕事をくれたのは、偶然というよりある種の必然を感じてしょうがないのだ。

ブリティッシュビートに一番近かった、ザ・スパイダーズ

どの GS にも思い入れがあるが、百花繚乱のその中で僕一番のお気に入りは、当時一番ブリティッシュビートに近いサウンドを出していたザ・スパイダーズだった。アニマルズなどのカバーも素晴らしかったけれど、なんといっても、かまやつひろしさんの書くオリジナル曲がまるで洋楽で「こんなセンスの人が日本にもいるんだ」とリスペクトを込めて聞いていた。

特に「ノー・ノー・ボーイ」や「ビター・フォー・マイ・テイスト」や「リトル・ロビー」の信じられないくらいのマージービートっぽいメロディやコードワークにはしびれっぱなし。僕が当時の GS の中でコンサートに行ったのは、スパイダーズだけという事実が、どれだけ僕が彼らにハマっていたかを表していると思うね。

そんな憧れのかまやつさんが、沢田さんの『G.S.I LOVE YOU』に曲を提供すると聞かされたときはもう身震いが止まらなかった。

かまやつひろしの楽曲はマージービートの香りでいっぱい!

そのかまやつさんの楽曲をもらいに渡辺プロの打ち合わせ室のドアをノックして中に入った時、おお!! そこにかまやつさんが…!!。なんと!かまやつさん、まだ曲ができてなくて、ギターをつまびきながらカセットデッキにデモ曲を録音してるところだった。

目の前にするかまやつさんのギターワーク、おお!! やっぱり親指で6弦を押さえる弾き方だよ。僕もセーハを使わず6弦を親指で押さえてハイポジションを弾くようになったのは、かつてテレビでかまやつさんが演ってたのを見て、あまりのかっこよさに真似するようになったのがきっかけ。そして流れてきた曲がやっぱりまるで1962年頃にジョン・レノンが作った曲みたいに、マージーの香りでいっぱいだった。

実はかまやつさんと会うのはこれがはじめてではなくて、1973年9月21日の文京公会堂で開催されたはっぴいえんどの解散コンサートに、ココナツ・バンクで出演した時に第一次接近遭遇。そのライヴの司会進行役だったかまやつさんにその時は恐れ多くて声をかけることなどできなかった。

そのかまやつさんが目の前に!! 録音を終えたかまやつさんとあいさつを交わすと、今回のレコーディングの話だけではなく、好きなマージービート話などに花が咲き、まるで夢のような時間が。その時の僕は、表向きにはお仕事としての顔でおちついて話していたように見えても、もちろん心の中は高校生の時に戻ったようにずっと心が震えまくっていたね。

ムッシュのポップセンスを支えているクールな視点

そして始まったレコーディング!! いい感じでリズム録りが進んで小休憩が入ったとき、かまやつさんから

「銀次さん、このコードワークでもいいんだけど、もっとマージーっぽいコードはないかな?」

… と相談が。マージービート大好き男の僕に、大尊敬するムッシュからこんな相談を受けちゃったらもう “ノー” とは言えないよ。「わかりました」といろんなコード展開をその場で考えてはかまやつさんに聴いてもらうのだけど、なかなかこれというのが見つからない。

どれぐらい時間が過ぎたのだろうか? 夢中ですっかり入り込んでた僕に、

「あ、いかんいかん、すっかりハマっちゃったね。ごめんごめん。元々ので行こうか。あれも悪くないからね」

そのとき僕は、かまやつさんの音楽家としての視点を知ってその場で凍りつきそうになった。これだけ探しても見つからないということは今の時点では “ない” ということなんだよね。それまでの僕だったら、そのコード展開が見つかるまでしつこくやめなかった。

そうか!マニアックな音楽を愛していても、決して醒めているわけじゃないこのクールな視点が、かまやつさんのポップセンスを支えているのだ。この小さな出来事はその後の僕の曲作りやアレンジに多大な影響をくれた忘れられない大きな出来事でした。

日本人離れした感覚を持ったコスモポリタン

その後も縁があって、ラッキーにもかまやつさんとは80年代後半に音楽を共有する機会を得るけれど、その話題はまた別の機会に。

残念ながら惜しくも亡くなってしまったかまやつさん。かまやつさんがずっと現役のままでいることがどれだけ励みになっていたことか。今思うと、出会った時からずっと僕のことを変わらず「銀次さん」と呼んでくださっていた。最後までずっと、向こうのミュージシャンのような、日本人離れした感覚の持ち主のコスモポリタンだったね。

カタリベ: 伊藤銀次

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