臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(218)

©Nikkey Shimbun

 庭は家族以外の者にも使われているので、房子は麻袋を縫い合わせ庭に面した入り口や小さな窓のカーテンにし、外からみえないようにした。しかたのない対策だが、正輝は小屋が気に入らなかった。できあがった小屋は全く酷いものだった。もし、外を通る人がみたら、貧民窟の掘っ立て小屋のように思っただろう。こんな小屋はサントアンドレでもあまりみかけない。
 市は発展途上にあり、当時大勢の人間がやってきたが、市にはそれらの者を受け入れるだけの条件が揃っていた。なぜ、正輝一家を含めた少数の者たちはその波に乗れないのだろう? サントス港で若狭丸を下船して30年近くなる。安楽な生活を築きあげるには十分すぎる歳月ではないか? 運がつきはじめると、自分の望みとはうらはらに、もとの出発点に送り戻されてしまう。ブラジルの沖縄移民はギリシャ神話のシーシュポスと同じではないのか?

 生涯を回顧してみた。沖縄での貧乏だが幸せだった幼年期、両親との別れ、神戸からサントスまでの惨澹たる船旅、希望あふれるコーヒー園への到着、前年の記録的な霜による収穫減少の通告、苛酷な労働と脱出、そのあとの仕事の不満、ほとんど利益の上がらなかった借地農、結婚、最初の二人の息子の誕生、アララクァーラへの移転、マシャードス区でのウサグァーの死、息子ヨーチャンの死、日本の敗戦、勾留、希望に満ちた都会への転居。また、全てを失うためにこのような過去を送ってきたのだろうか?
「自分の人生は、自分では避けられない挫折のくり返しなのだろうか?」
 生長の家創立者、谷口雅春の楽天的で、勇気を与え、元気づける「生命の実相」を読んでも、悲観的になってしまう。
 本ではあきらめることは実生活の真相を理解することであり、よりよい世を目指すバネとなる。たとえあの世にいったとしても、降りかかる不幸を相殺する手段として、一体どのぐらいあきらめつづけなくてはならないのか。たしかに「生命の実相」は正輝の気持ちを平安にするが、ときには、それを克服できないこともある。
 気力を失った。しかし、家族にそれを感づかせるわけにはいかない。明治の道徳教育を受けた正輝は、家長としてみんなを指揮し、子どもたちの手本となるために、気弱さや挫折感、無気力さや敗北感をさらすことはできなかった。
「時期が悪い。こんな時期はいつものようにすぐ終わってしまう」
 と自分にいい聞かせるが、自分自身が納得していなかった。が、妻や子どもたちには納得してもらえると思った。
「状況はすぐよくなるからな」
 引越しの効果は確かにあった。稲嶺の庭の家とも呼べない掘立小屋はまえの家より洗濯屋にも学校にも近かった。けれども、それは家族にとっては慰めにはならなかった。沖縄の過酷な時期や生活や、コーヒー園での厳しい日々より、サントアンドレ街の生活のほうが物質的におとるのだった。友人稲嶺氏の好意を忘れたのではない。現実を確認しただけなのだ。苛酷な現実を…。

 ただで住ませてもらったことで住居に関する経費がなくなり、支出は減ったが、それで問題が解決したわけではなく、苦しい生活はつづいた。洗濯店から上がる収入では支出を賄えなかった。