企業の文化投資は経済界・文化界に何をもたらすか? シンポジウムレポート

2010年12月に「文化経済戦略」をまとめた文化庁。これは、国、自治体、企業等による文化芸術への投資により新たな価値を創出し、それらが文化芸術に再投資される「文化と経済の好循環」の実現を目指すというものだ。

このたび、文化庁が牽引する「文化経済戦略推進事業」の位置づけと戦略の説明と、関係者(文化芸術界関係者、企業経営者、アーティスト)による事例の共有、課題や今後の展望について議論するシンポジウム「企業の文化投資は経済界・文化界に何をもたらすか」が国立新美術館で行われた。その様子をレポートする。

左から青柳正規、長谷川一英、AKI INOMATA、前田育男

1:今里譲「文化庁が推進する“文化と経済の好循環”」

この日まず登壇したのは、文化庁次長の今里譲。今里は、近年の文化芸術を取り巻く諸情勢の変化として(1)社会状況の変化(2)訪日外国人の増加(3)東京オリンピック、パラリンピックの3項目を挙げ、文化芸術がどのように関わっていくかを説明した。

それらの変化のなかで文化庁が重要視しているのは、震災の復興や地域コミュニティの再生に対する文化芸術の力。「震災などで心身ともに疲弊しているところに文化と接することで勇気をもらえることがある。また、文化芸術は人が人として生きていくうえで水や空気のように大切なもの」と今里は話す。

そのいっぽうで、オリンピック・パラリンピック以降も続く「レガシー」として、日本の文化芸術の海外発信することの重要性も強調した。

では、2019年12月に内閣官房・文化庁が連盟で策定した「文化経済戦略」とはいかなるものか? これは、国、地方自治体、企業、個人が文化への戦略的投資を拡大し、文化を起点に産業等他分野と連携した創造的活動によって新たな価値を創出。そして、その新たな価値が文化に再投資され、持続的な発展につながるというものだ。

つまり、目的は文化芸術をコアとして社会的、経済的価値を作り出すこと。こうした施策にともない、文化庁は組織改編も実施、2018年10月には「文化政策・国際課」も新設された。

今里譲

戦略の全体像、そして6つの重要戦略などは、文化庁のウェブサイトで公開されているが、では文化経済戦略事業の一環として具体的にどのようなことを行なってきたのか? 今里は以下の3つを挙げる。

1:Artist In The Office
アーティストが企業内で作品の滞在制作を行う。企業人はアーティストとのコミュニケーション、作品を通じてアート思考を学び、ビジネスに活用する可能性を探る。
2:Culture Thinking Tour
企業経営者を美術館に招き、作品やアート思考を学ぶツアー。懇親会を通じてさまざまな企業のトップが美術館を核にネットワークを形成。新たなビジネス創出の可能性を探る。
3:民間企業の美術館コレクション活用
企業内に眠っている(と想定される)美術品の流動化の実現を目指して、定性・定量調査を行い現状や課題を把握する。

そして、最後にこう述べた。「文化芸術がダイレクト経済につながるということではなく、広くアート思考がビジネスに良い影響を与えられたらいいと思います。そして文化芸術は根源的に必要であり、付加的なものではない。文化庁はこれからも本気で取り組んでいきます」。

青柳正規

2:青柳正規「文化と経済の好循環を生むためには」

「ちょっと深刻で尖った話をさせたていただきたい」と前置きし、登壇したのは青柳正規(多摩美術大学理事長、山梨県立美術館館長、東京大学名誉教授、前文化庁長官)。

青柳は、VUCAの時代(Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguity=あらゆるものを取り巻く環境が複雑性を増し、将来の予測が困難な状態)において、日本はバブル時代とは異なる方法論をつくり出し、経済を発展させていくべきだと主張し、日本が注力している観光業の脆さと課題を説明。そして、近年脚光を集めるソフトツーリズムに言及した。ソフトツーリズムとは、自然、歴史や史跡など、地域に備わる環境や資源を利用した観光のスタイルで、文化財はその中核とも言える。しかし、文化財にかかる負荷を青柳は次のように語る。

「文化財は現代に近づくほどその数が増えます。しかし、一般の方々の関心は古いものほど大きくなり、古い物に負荷がかかりやすい。ですのでレプリカ、事前に映像などを見て学習してもらう、あるいはVR・ARなどを活用して、古い文化財の不可を軽くしていかないといけません。また、自分の周辺環境に愛着を持ち、新しい文化財にも価値を見出すことも必要です」。

そのいっぽうで、「明治時代より、文化人は政治と一線を画してきた。そのため、政府予算における文化の予算を増やすための圧力が少ない」として、文化庁予算の少なさを指摘。日本の1067億円(2020年度)は韓国の予算の半分、フランスの10分の1であり、「この少なさはわれわれ文化に関わってきた人間の責任でもある」と述べた。

スライドより。新・旧文化財の価値を均衡にするための図説

日本の国際競争力を強化するために芸術文化は必須だと考えるいっぽうで、現在の自由競争市場に芸術文化をコミットさせることは「狼の群れの中に子羊を投げこむようなもの」と言う青柳。その前に保存、修復をはじめ文化芸術へのケアとサステナブルなあり方を追求し、トリプルボトムライン(企業の財務パフォーマンスのみを評価するのではなく、企業活動の環境的・社会的・経済的側面の3つの側面から評価する)など「欲望の資本主義」とは異なる概念を重要視すべきだと主張。「欲望の資本主義」から被害を受けた文化の例として、オーバーツーリズムによって地元住民が離れ、観光客のための市場へと変貌した錦小路(京都)と近江市場(金沢)を例に挙げた。

そしてこうした状況を防ぐための条件づくりとして、文化芸術作品をとりまくプラットフォームの必要性として、以下の3つを提案した。

1:税制の見直し
→現在は、シャウプ勧告に基づく古い税制(シャウプ勧告=GHQの要請によって結成された、カール・シャウプを団長とする日本税制使節団による日本の租税に関する報告書。日本の戦後税制に大きな影響を与えた)
2:(価格)評価システム
→ フランスには、あらゆる文化を評価する専門家(Compagnie Nationale des Experts)が存在し、コレクターの安心につながっている。
3:美術品や文化財を持つ(所有する)ことに対する社会のリスペクト

また、そのいっぽうで、世界的な「文化の均一化」の影響にも触れ、フランス等にならい文化多様性条約を批准すべき(現在、経済産業省がこの条約批准に反対している)とも述べた。

最後に青柳は、文化庁の現状についても言及。「文化庁は京都に移転することで股裂き状態になる。本来は、各省とぎりぎりの折衝をしていかなければならいのにそれができないということです。文化庁はいま、機能不全に陥っている。私は、芸術文化のためには文化庁は文化省にならないといけないし、それを応援していくべきだと思っています」。

長谷川一英

3:長谷川一英「イノベーションのドライバーとしてのアート」

製薬会社勤務を経て、日本のアートマーケットをより活性化させるために法人「E&K Associates」を立ち上げた長谷川一英。自身もアートコレクターであり「アーティストと言葉を交わす時間が楽しい」と語る長谷川は、アーティストと企業がコラボレートすることで新しいものが生まれる可能性を追求している。

長谷川はまず、企業環境の変化とイノベーションについて説明。「これからの時代は、企業が環境や社会問題に正面から取り組むと同時に、コーポレートガバナンスを向上させることが利益力を維持する条件になる」という、ラリー・フィンク(ブラックロックCEO)の言葉を引用。続いて、ロベルト・ベルガンティ(ミラノ大学教授)が提唱する「意味のイノベーション」の必要性を解説した。

意味のイノベーションとは、文字通り新たな「意味」を創出することで、音楽を外に持ち運ぶことを可能にしたウォークマン、音楽産業にダウンロード文化を持ち込んだiPodやiTunes、掃除を家事から解放したロボット掃除機ルンバがその例だ。

長谷川は「長く存在感を持つことができる“意味のイノベーション”は、これから企業が目指すべき方向性だと思います。そして、意味のイノベーションには、新しい意味を見つけることのできる“人”、すなわちアーティスト思考が必要です」として、アーティストは「意味のイノベーションのドライバー」だと言い表した。

スライドより。アーティストが作品制作のために発揮する力の解説

いっぽうアーティスト思考の実例として、チャド・ハーリー(YouTube共同創業者)、ニック・ウッドマン(GoPro創業者)、ジョー・ゲビア(Airbnb共同創業者)、ジョン・オリンジャー(Shutterstock創業者)をはじめ、ユニコーン企業約160社のうち21パーセントに芸術系の教育を受けた創業者がいると解説。アーティストが新しいコンセプトで作品を制作するために発揮する力、見えないものを可視化する思考の影響力を示し、企業とアーティストの協働の例として、名和晃平とUDS、中谷芙二子とMee Industries、オラファー・エリアソンとフレデリック・オッテセン(技術者)の取り組みを紹介した。

AKI INOMATA。スライドに映るのは作品《やどかりに「やど」を渡してみる》(2009-)

4:AKI INOMATA「アーティスト思考について」

この日、最後に登壇したアーティストのAKI INOMATAは、3Dプリンターで各都市を模したやどかりの殻をつくり、実際にやどかりに引っ越しをさせる作品《やどかりに「やど」を渡してみる》(2009-)などを手がけるアーティスト。2019年に十和田市現代美術館で個展「AKI INOMATA:Significant Otherness 生きものと私が出会うとき」を行なったことも記憶に新しい。今回、INOMATAは「アーティスト活動を続けるなかでみなさんからよく質問されます」という3つの問いを軸にQ&A形式で話を展開した。

Q:現代アートはわからない?
A:ひとつの正解があるわけではなく、考えるための糸口
例えば、《やどかりに「やど」を渡してみる》は、取り壊しの決まったフランス大使館が舞台の展覧会「NO MAN’S LAND 破壊と創造」(2009年)をきっかけに着想を得た作品だとINOMATAは振り返る。貝殻の引っ越しをするヤドカリの生態、そして移転の決まった大使館の状況、国籍、移住、アイデンティティなどさまざまなキーワードが浮かび上がってくる。

《彫刻のつくりかた》の制作過程。スライドに映るにはタイの工房の職人

Q:孤高の天才アーティスト像?
A:アートは協働から生まれる
INOMATAの作品には、ヤドカリと協働するシリーズ「やどかりに「やど」を渡してみる」のほか、ビーバーがかじった木材をもとに、タイの職人が木目石で人間のスケールに模刻する《彫刻のつくりかた》など、他者とのコラボレーションが重要な意味をもつ。これまでファッション関係者、ミノムシの研究者、地域住民、水族館のスタッフ、動物などとコラボレーションした作品を手がけてきたINOMATAは、「協働」を重要視していると話す。

Q:企業とアーティストがコラボレーションするには?
A:互いの関心領域の接点を見つける
この例としてINOMATAは、「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」の取り組み紹介した。

2018年、第11回 Car Design Nightでコンセプトカー・オブ・ザ・イヤー(世界で一番美しい車)を受賞したマツダ VISION COUPE。

5:パネルディスカッション

最後のパネルディスカッションでは、青柳、INOMATA、長谷川に加え、前田育男(カーデザイナー、マツダ株式会社常務執行役員)も登場。前田は「Car as Art」をテーマに、「玉川堂」「金城一国斎」といった伝統工芸の分野とコラボレーションし、車をアート作品のレベルまで引き上げる取り組みを行ってきた人物でもある。前田は「まともな発想で従来通りの方法でものづくりを続けていたら、海外には勝てません。海外のデザインと比較され負けることが多いなか、勝つためには日本文化が必要です」と話す。

ディスカッションの本題は、少子高齢化のいま、いかにイノベーションを起こせるかということ。青柳は「イノベーションは一種のトランポリン。トランポリンのバネが張っていれば高く飛べるが、経済状態が悪化したいまはそのバネが弛緩して高く飛べない。けれど、そこに芸術、文化、環境といった違う要素を入れるとハリが出てきて飛べるのではないか」と話す。

それに対して前田は「車とアートって、本来はご法度な関係です。だけど私がアートを持ち込むのは、自動運転を含む車の利便性とトレンド、カーシェアリングとは別軸のバネを装着するためです。正解を求めにいかないチャレンジが新たな伸びしろになると考えます」と話す。加えて、「薄利多売の時代は終わった。マーケットというよりは日本の固有の良さ、ノウハウにもっと重きを置いて日本でしかつくれないプロダクトを探すべきだと思います。また、以前はマーケット・ドリブンでしたが、それは今のSNS社会には合わない。無理やりそのサイクルに乗っかるのではなく、我々だけの文化を追求していきたい」と語った。

また、前田は乱用される「イノベーション」という言葉にも言及。「私はなんのためにイノベートするのか?といつも思います。そして、固有の文化に目を向けて伸ばしていく、ベクトルのイノベーションが実現すればいいのではないかと思っています。それは、価値という大きなくくりじゃなくて、例えば考え方。もう少し限定して方向性をつくってもいいのではないかと思います」と締めくくった。

パネルディスカッションの様子

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