1億人のクラスメイト 伊藤麻衣子のアイドル時代、大映ドラマで人気爆発!

1983年 2月25日 伊藤麻衣子のデビューシングル「微熱かナ」がリリースされた日

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ミスマガジン初代グランプリ!伊藤麻衣子が歌手デビュー

1982年に『ミスマガジン』初代グランプリに輝いた伊藤麻衣子(現・いとうまい子)を最初に見たのは、その前年秋に出された雑誌『BOMB』の記事だったと思う。その時のプロフィールでは自分より一学年下になっていたのだが、しばらくしたら同学年だったことが判明した。

昔はよくある話だったし、むしろ親近感を持つことが出来たというのもある。そんな伊藤麻衣子は『少年マガジン』や『DELUXE マガジン』のグラビアページを賑わした後、1983年2月25日に「微熱かナ」で CBSソニーから歌手デビューする。

デビューシングル「微熱かナ」キャッチフレーズは1億人のクラスメイト

キャッチフレーズは “1億人のクラスメイト”。同期の新人は、岩井小百合、大沢逸美、太田貴子、桑田靖子、小出広美、佐東由梨、吹田明日香、ソフトクリーム、武田久美子、徳丸純子、原真祐美、松本明子、森尾由美、横田早苗といった顔ぶれだった。前年が “花の82年組” と呼ばれる豊作年であっただけに、かなり厳しい状況を強いられた世代と思うが、それでも現在に至るまで芸能活動を続けている面々も多く、決して不作年ではなかった。

デビュー曲「微熱かナ」は来生たかおの作曲で、売野雅勇が作詞を担当している。中森明菜の「スローモーション」+「少女A」をミックスしたような贅沢なライター陣であったし、宣伝にもずいぶん力が入れられたように見えたのに、大きなヒットには至らなかったのは不思議。続いて出されたシングル「夢の入口」「秋のほほづえ」「危ない感傷」も同様で、ルックスにも楽曲にも恵まれながらヒットはなかなか生まれなかった。

大映ドラマ「不良少女と呼ばれて」で人気爆発!

それでも彼女に対する同世代間の認知度が非常に高かったのは、やはり大映ドラマでの活躍に尽きる。最もよく語られるのは初の単独主演作となった1984年の『不良少女と呼ばれて』だろう。大映ドラマの特徴といえる常軌を逸した設定と複雑な人間関係、そしてクセのあるキャストが居並び、観る者を惹きつけてやまない作品のひとつ。MIE の歌う主題歌「NEVER」もヒットした。今でもあのメロディを聴くと、伊藤麻衣子の迫真の演技と芥川隆行の味のあるナレーションが脳内で同時再生される。

鶴見辰吾とのラブコメディ「高校聖夫婦」もオススメ

しかしながら個人的にはその前、「微熱かナ」のリリースから2ヶ月足らずで始まったドラマ『高校聖夫婦』の方が好きだった。これも大映テレビの製作で、相手役は鶴見辰吾。かつて岡崎友紀主演で人気を博した『おくさまは18歳』を彷彿させるようなラブコメディだが、諸事情によって生じたカモフラージュ結婚が描かれたドラマのトーンはもう少し重め。

なにしろ放映されていた火曜20時台は前番組が『積木くずし』、後番組が『スチュワーデス物語』という布陣だったから、明るいだけのドラマであるはずがなかったのだ。当時18歳の伊藤はチャーミングで、鶴見がうらやましく思えた。ちなみによくミスタイプされがちだが、高校 “生” 夫婦ではなく高校 “聖” 夫婦なのでお間違え無きように。

売野雅勇、玉置浩二、芹澤廣明… バラエティに富んだ歌手活動

歌手としては1987年までリリースを続け、1985年までは売野雅勇が一貫して作詞を手がけていた。その中で、安全地帯として活躍していた玉置浩二の作曲による「優しい絆」(83年)や、売野と相性抜群な芹澤廣明が作曲した「感激!ラブモーション」(84年)などは秀でた楽曲であろう。

その次のシングルとなった「見えない翼」は1985年に日本テレビで放映された主演ドラマ『婦警候補生物語』の主題歌。堀ちえみ『スチュワーデス物語』の人気に便乗したと思われるユニオン映画の製作であったが、石立鉄男や国広富之らのキャスティングはまるで大映ドラマのようだった。本家の大映ドラの出演作はその後も『ザ・スクールコップ』『スクールウォーズ2』がある。

初の映画主演作となった松竹『愛の陽炎』の同名主題歌は異色の作品として挙げられる。「愛の陽炎」も結構陰惨なストーリーが反映されたものであったが、シングルB面に収録された「奥秩父子守唄」は脚本の橋本忍が作詞しており、まるで金田一ものなどのミステリーやホラー映画を想わせる挿入歌であった。その後、にっかつ映画『愛しのハーフ・ムーン』に主演して弾けた主題歌「Love Shooter」を聴いた時はなんだかホッとさせられたものだった。

アイドル時代はオリジナルアルバムも4枚リリース!

今ではすっかり女優・タレントとして認識されている彼女だが、1983年から85年にかけてはオリジナルアルバムも4枚リリースするなど、アイドル時代は歌手活動も盛んだったのだ。

そういえば、1987年に日本武道館で催されたKUWATA BANDのファイナルライヴに行った際、入場列の前に彼女が並んでいてちょっとドキドキしたことを想い出した。あれから33年も経ってしまったとは!

カタリベ: 鈴木啓之