1900年代前半から高級車メーカーとして人気
1863年にアダム・オペルが創業したオペルは、当初はミシンメーカーだったが、1899年にフランス車のノックダウン生産で自動車製造に進出。1902年には独自開発モデルの生産をスタートさせている。
1909年には「ドクトルヴァーゲン(Doktorwagen:医者のためのクルマ)」と呼ばれたオペル4/8 PSをリリースするなど、第一次世界大戦前からドイツの高級車メーカーとして名を馳せている。
戦争で紆余曲折あったがGMとの関係は超長い
しかし、第一次世界大戦でドイツが敗戦し、1929年に始まる大恐慌も追い打ちして経営不振に陥ると、欧州市場への進出を進めていたゼネラルモーターズの資本を受け入れ、1931年にはGMの完全子会社となる。
第二次世界大戦中は、ナチスの圧力でGMは経営から離れるが、1948年に経営権を回復。その後は長らくGM傘下で「手ごろな価格のドイツ製実用車」を作るメーカーとして、ヨーロッパで存在感を放ち続けた。
日本とは約100年のお付き合い
日本との関係も長い。最初に日本市場に参入したのは、日本ゼネラル・モーターズが設立された1927年で、戦後も1950年から東邦モーターズが輸入を行っている。
だが排ガス規制への不適合で1976年に中断。1983年に販売が再開され、1989年からは当時GMグループだったいすゞ自動車も一部車種を輸入していた。ちなみに1974年に登場した初代いすゞジェミニは、オペル カデットの兄弟モデルだ。
一時は国内で3.8万台を売り上げる人気輸入車だった
1993年にはヤナセが輸入権を獲得し、1996年には過去最高となる3万8000台以上が販売された。2000年に輸入権が日本ゼネラルモーターズに移管されると、販売網の複雑化や信頼性の低下、商品コンセプトの迷走などにより販売が急減。2006年5月に日本市場から撤退している。
PSA傘下となり、欧州市場で大復活
2009年にはGMの経営破綻から売却が取りざたされるなど、厳しい状況に陥ったが、2012年に登場したアダムの大ヒットでヨーロッパのコンパクトカー市場を席巻。
また同年にPSAと協力関係を結ぶと、プロダクトのクオリティが向上し、ラインアップの魅力も格段に増して、再びヨーロッパ市場におけるメインプレーヤーのひとつに復活。2017年にはPSAが買収し、現在はPSAのブランドのひとつとなっている。
日本市場復活の真相をCEOに直撃
5年ぶりに再参入する理由をオペル・オートモーティブのミヒャエル・ローシェラーCEOに直撃! 2020年2月22日に掲載予定なので、乞うご期待。
【筆者:竹花 寿美】