スマートウォッチがスイス時計市場を上回る時代に

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時計産業は常に経済的不合理をはらんでいる。5ポンド(約700円)のカシオ製デジタル時計の方がより確実に時を刻んでいても、4万倍高い機械式のパテック・フィリップのグランド・コンプリケーションを選ぶ人だっているのだ。

某広告コピーが語るように、ひとつひとつの時計にはストーリーがある。それが時計産業の語るストーリーとなると、機能よりもスタイルのために高額を払う人が何百万人もいるということになる。あるいは、ラルフ・ローレンなどはもっと詩的にこう表現する。優れた時計は洗練されたデザインの車と同様、「動くアート」として愛される存在だ、と。

それでも経済的不合理には限りがある。その限界を容赦なく見せつけたのが、根本的に異なるタイプの機能性とスタイルを提供したアップルウォッチだ。

調査会社ストラテジー・アナリティクスによると、5年弱前に発売されたアップルウォッチの出荷本数は、腕時計の生産歴152年になるスイス時計市場全体を上回った。昨年アップルは前年比36%増の3100万本を売り上げた一方、スイス時計の輸出量は全体で13%減の2100万本だった。

スイス時計メーカーにとっての一つの慰めは、収益は未だアップルより多いことだ。アップルの110億ドル(約1兆1000億円)に対し、スイスは210億ドルを稼ぎ出した。だが今の勢いが続けば、2023年には収益でもアップルが逆転する。

もちろんアップルウォッチをただの時計とみなすのは誤りだ。スマートウォッチの成功は、カメラや計算機、DVDが経験してきたような、ソフトウェアがハードウェアを食うという、あのお決まりの展開に追随するタイプのものだ。スマートウォッチは時刻が分かるだけではなく、身に着けるコンピューターとして機能する。アプリと連携することで、スマートウォッチは何百もの機能が使える。メッセージの送受信から心拍数、生理周期、血糖値の測定、あるいはダイビングの経路記録から騒音が聴覚に損傷を与えていないかのチェックまでと幅広い。

スマートウォッチの教訓

アップルが強化を進めるのはスマートウォッチのヘルスケア端末としての役割だ。アップル健康部門のサムブール・デサイ副部長は、スマートウォッチは自身の健康に関して何らかの行動を起こせる情報を提供することでユーザーを勇気づける「驚くべきプラットフォーム」だと話す。心電図アプリで臨床医にデータを送信することすら可能なのだ。

スマートウォッチの急成長から学ぶべきことはいくつかある。第一に、競争の移ろいやすさを踏まえれば、いかなる伝統産業もどこから致命的な天敵が現れるかを予測するのは難しい。スティーブ・ジョブスがマッキントッシュの初代パソコンを発表した1984年、数十年後には時計市場におけるスイスの牙城をアップルが切り崩すと誰が予想できただろうか?

第二に、スマート製品はいずれも、機能の少ない非スマート製品をしのぐ可能性が高い。消費者がアプリで端末を自分用にカスタマイズできるのは、同じサービスを使い続ける強力な誘因になる。

第三に、若い消費者の生活様式が急速にオンラインになっていくと同時に、大きな世代的転換が起こっている。スマートウォッチの洗練されたデザインや機能性がデジタル世代を引き付ける一方、伝統的な時計の若年世代への販売台数は急速に落ちている。

アップルの独擅場

現在、アップルのスマートウォッチ市場シェアは50%と見積もられる。ただグーグルもアンドロイドのスマートウォッチを販売し、最近はフィットビットや米ウェアラブル技術企業のガーミンを買収するなど、積極的にこの市場に食い込んでいる。タグ・ホイヤーなど一部のスイス時計メーカーは独自のスマートウォッチを発売しており、ティソはオペレーションシステムさえも自前で開発するという野心的な計画を持っている。

結論として明らかなのは、自動車が普及した時代の馬車メーカーさながら、スイス時計メーカーが落ちぶれていくのは避けられないことだ。それでも時計産業が全てを失うわけではない。

フォントーベル(チューリヒ)の高級品市場アナリスト、ルネ・ヴェーバー氏は低価格と高価格製品との業績が対照的であることに注目する。2000年以降、1000ドル未満のスイス時計の売り上げ本数は半減したが、5000ドル以上では3倍に膨らんだ。

ヴェーバー氏によると、ロレックスやパテック・フィリップ、オーデマ・ピゲといった高級時計メーカーの最上級モデルでは、売り上げがスマートウォッチの攻勢に受ける影響は微々たるものだ。実際、こうしたメーカーの最高級製品は、複雑な機械式時計を手作業で製造するため生産量に限りがあり、長い予約リストができている。

「スマートウォッチは2~3年後には廃棄することになるが、スイス時計は永遠だ」とヴェーバー氏は語る。「それは時計としても経験としても別物だ」

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John Thornhill, Financial Times