平戸藩の圧政を江戸幕府に直訴 壱岐の義人「百姓源三」しのぶ 没後200年の記念式典 80人参加、ゆかりの地巡る

源三の墓参りをする参加者たち=長崎県壱岐市、百姓源三の墓

 平戸藩の圧政を江戸幕府に直訴し、義人として尊敬されている壱岐の農民、「百姓源三」の没後200年の記念式典が24日、壱岐市内で開かれた。式典は50年ぶりで、住民らが功績をたたえた。

 源三の生涯をまとめた「百姓源三之事蹟」によると、1778年に可須村(現勝本町)の岩本家に次男として生まれた。壱岐では当時、「地割制度」と呼ばれる田畑の共有制度を役人が悪用して私腹を肥やし、村民は苦しんでいた。
 源三は1811年、この窮状を幕府に直訴しようと江戸へ。19年、江戸から出雲へ向かう11代将軍家斉の列に直訴文を投げ込んだが直訴は重罪。平戸で約100日投獄された後、勝本に戻され処刑された。43歳だった。村民は源三神社を建立し、遺徳をしのんだ。
 式典は、地域住民でつくる実行委員会が勝本町の町東触公民館で開いた。小山田省三実行委員長が「源三は義人として、守り神として今日まで私たちの生活の中に生き続けている」とあいさつ。国の重要無形民俗文化財の壱岐大大神楽を奉納した。
 ゆかりの地を巡るバスツアーやウォークラリーには約80人が参加。処刑場跡や新旧の源三神社、墓などを巡った。
 参加した同町の教員、田口直美さん(44)は「学校で教えたり、総合学習の時間に地域の人と一緒に学んで共有したりして、地区として守っていかないといけないと思った」と話した。

© 株式会社長崎新聞社