パリ五輪 視野に 別府大分マラソン 日本人2位 スバル・小山司が「サブ10」

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勝機をうかがいながら集団の中で走るスバルの小山(17)=3日、大分市

 大分市で今月行われた別府大分毎日マラソンで、SUBARU(スバル)の小山司が自己記録を2分以上縮める2時間8分53秒で4位入賞、日本人2位でゴールした。一流ランナーの証しともされる2時間10分以内の「サブ10」を日本人100人目として達成。「地味なランナーからの脱皮」を果たした28歳は、陸上人生の集大成として4年後のパリ五輪出場を思い描く。

◎背水の陣 「引退」も脳裏に

 別大マラソンは背水の陣だった。足首の故障が重なり、今季始動は昨年10月。ニューイヤー駅伝は最長4区を走ったが、入賞圏内の7位から18位に順位を落とした。強みの安定感を示せず、完全に自信を失った。不調を引きずり、1年ぶりのフルマラソンに「結果次第では引退」も脳裏にちらついた。

35キロ付近で一時先頭に立ち、集団を引っ張ったスバルの小山。「終盤戦の駆け引きにおいていい経験になった」と振り返る=太田市内

 唯一の救いは、2年前に当時の自己ベスト(2時間11分20秒)を記録した相性の良いコースということ。過去の経験から「勝負は30キロを過ぎてから」と読んだ。集団の中で無駄な動きと思考を排除し、練習の感覚で体を動かした。

 33キロ付近、大きく動きだしたレースに反応が遅れた。集団が崩れ始めて後退。「ここまでか」「粘ればまだある」。再形成された先頭集団に食らい付いた。

 35キロ付近で仕掛けた。コースの折り返しを利用し、一気に10人ほどの集団の先頭へ。逃げ切りを図ったわけではない。「ここで少しでも集団の人数を絞らないと目標の入賞が厳しい」と判断した。

 その直後、外国人選手が少し離れた右後方からスパート。再び後退したが、持ち前の粘り強さで数人をかわした。サブ10で4位、主将初年度で今季の目標を達成した。

 ただ、35キロ過ぎの判断は悔いている。冷静に前を逃がしたつもりだったが、別の対応をした上位3人の背中は最後まで捉えられなかったためだ。初マラソンで3位の吉田祐也(青学大)との差は23秒。その差を「終盤のスパートに正しく対応した選手と、できなかった選手の間の高い壁」と受け止める。

 「困った時の小山」といわれてきた。信頼を得る一方、エースの肩書には縁がなく、地味な選手のレッテルを貼られてきた。地元、埼玉・寄居町の同級生で前日本記録保持者の設楽悠太(ホンダ)が常に前を走り、「小さな町の英雄にすらなれない人生」。帝京大4年当時に「花の2区」を任されたが、それもチームの絶対的エースが故障したからだった。

 不遇を原動力に変えてきた。実業団6年目でついに手にした一流の証し。今後は「走りの再現性」を高め、安定的なサブ10を目指す。最高ランク「ゴールドラベル」の海外レースにも積極的に挑戦。その先に4年後のパリ五輪へ「ワンチャンスあるはず」だ。

 【メモ】 マラソンの県記録はスバルの奥谷亘監督が2006年12月に福岡国際マラソンでマークした2時間8分49秒。小山は今回、あと4秒まで迫った。

 こやま・つかさ 1992年1月生まれ。埼玉県寄居町出身。武蔵越生高(埼玉)―帝京大出身。第3ボディ課勤務。帝京大当時に箱根駅伝に3年連続出場し、山登りの5区とエース区間2区を走った。3年時に総合4位に貢献した。スバル6年目で今季から主将。うなぎが好物の2児の父。168センチ、52キロ。