記憶はどのように保存されるのか「短期記憶と長期記憶」

記憶のメカニズム

記憶とはどのように保存されるかご存知だろうか。

人は無意識に、目や耳から入った情報を脳内に瞬間的に「記憶」する。しかし、もしその時に見たこと、聞いたこと触った感覚、すべてを記憶していたら脳はすぐにパンクするし、情報処理が追い付かなくなる。したがって人は、情報を「記憶」したと同時に「忘却」している。

繰り返すことで「記憶」する

学生時代、多くの人が取り組んだであろう「暗記」であるが、皆どのように覚えただろうか。

筆者は繰り返す読む、書くことで覚える恐らく一番王道なパターンであるが、他には語呂合わせや、覚えたページを破り捨てることで、「もう見ることができない」というプレッシャーを自らに課して暗記するという強者もいる。

実は記憶、こと暗記においてこの「繰り返し」という作業は非常に有効であると証明されている。脳内に入ってきた情報は、前述のとおり瞬間的に「記憶」される。この瞬間的に記憶された「感覚記憶」は繰り返すことで「短期記憶」に保持され、さらに何度も強く覚えようとすることで最も深い「長期記憶」に保持されていく。

記憶の多重モデル

1968年、Atkinson & Shiffrinという二人の学者によって提唱された、記憶の多重モデルだ。

これによると、記憶はまず、本人も把握していないスピードで瞬間的に記憶が行われる。それが一番浅い記憶、「感覚記憶」である。

そして本人がそれを覚えようと意識的に記憶しようとすることで「短期記憶」に保存される。

短期記憶は「7±2」の情報しか保存できないといわれている。数字や単語など、人間が一度に記憶できるのは「5~9」個までであり、覚えていられる時間は「数十秒」だと言われている。

そしてこの短期記憶に保存された記憶は、繰り返し、つまり「リハーサル」することで「長期記憶」に保存される。記憶の保管庫としては長期記憶が最も最大であり、期間は無限ともいえる。

つまり、本人が忘れないように何度も何度も繰り返すことで、「長期記憶」に保存された記憶は永遠に失われることはない。

印象に残る出来事は記憶する

しかし全ての記憶がリハーサルによって記憶される訳ではない。人は、自分にとって衝撃的な出来事はたった一度の経験であっても瞬間的に脳裏に焼き付き、記憶する。

Post Traumatic Stress Disorder=PTSDは、非常に強いストレスが起こった時に、その後何度もその光景が思い出されパニックになることだが、実際に人は「強い印象」を受けたものを「瞬間的に長期記憶」に記憶する。主なものは犯罪行為や震災、事故などが挙げられる。

それを踏まえると、前述のように破り捨ててプレッシャーを与えることで無理やり長期記憶に保存することも、脳に強く印象付けるため一定の効果は見込めると考えられる。

もう一つ、特殊な記憶が「運動記憶」だ。

小さいころ自転車に乗る練習をした人は多いのではないだろうか?何度も何度も転び、傷だらけになって練習し覚えたはずだ。そんな自転車を、大人になって何年も使わなくなったという人もいるだろう。しかし、数年、数十年経っていても、意外にも「あっさり乗れる」ことが多々ある。

これは他にも、例えば「鉄棒」や「雲梯」も何年もやっていなくてもある日思い立ってやってみるとすんなりできたりする。長期間寝たきりで足が細くなったり足の筋力が衰えることはあっても、「歩き方」を忘れることはない。

このように、自らの肉体に刻まれた「運動記憶」は一度マスターするとほぼ一生忘れることはないと言われている。

変わりやすい「エピソード記憶」

人は意味のある単語を覚えたとき、その後その意味が変わることはあまりない。例えば、リンゴについて話した時、「黄色くて細いよね」と記憶が変わることはあまりない。たまに勘違いしても、すぐに修正される。意味記憶は、このように基本的には普遍的な記憶である。

対して「エピソード記憶」は非常に変わりやすい。

エピソード、つまり物語は、「今日の一日」のように人それぞれ違う記憶になる。さらにそれが積み重なると、「数年前はこうだった」「赤ちゃんの時はこうだった」と所謂昔話になるが、実はこのエピソード記憶、50%以上の部分で記憶がすり替わっていることがある。

「赤ちゃんの頃、沖縄に行ったわよね」というのが、「実はグアムだった」なんてことはザラにあるし、ほんの一週間前の話でも、夕飯が鮭の塩焼きだったかアジフライだったか思い出せる人は少ない。「〇〇さんは××が好きだったわよね」という話も「××ではなく△△」であることも多々ある。

恐ろしいのはこのエピソード記憶、大半が「間違っていると思っていない」ことだ。よく、「言った言わない論争」というものがあるが、ほんの数時間前のことでも、覚えていないことは多い。

自分が発した言葉や行動であったり、それが結構な衝撃を与えるものであっても記憶がすり替わるのだ。しかも、「よく覚えていない」なら可愛らしいが「絶対に言ってない」とか「絶対にやってない」と頑なになってしまうから困りものである。

もちろん、本人の性格によって意固地になっていたりその時の状況によって引けなくなっていることもあるだろうが、例え喧嘩のような場面でなくても「あのレストランで食べたフレンチおいしかった」というのが「中華だった」ということはよくある話なのである。

記憶は過信しがち

記憶について筆者が言いたいことはたった一つ「エピソード記憶を過信するな」である。

往々にして人がもめるのは、この記憶違いが多い。よくあるのが、「今私が持っていたネクタイ(ハンカチ)は何色のどんな柄だった?」というクイズだが、人はきちんと見ているつもりでも見ていないし、覚えているつもりでも覚えていないのだ。

(文/ニジクマノミ

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