日本人とコーヒーの歴史を喫茶店の登場から調べてみた

日本人とコーヒーの歴史

コーヒーは私たちにとって、ごく当たり前のようにそこにある飲み物だ。1日に何杯も飲まないと気が済まない人も多いだろう。

店に入り椅子に腰をかけるやいなや「ホット」と注文すると、ほどなくホットコーヒーが出てくるのは喫茶店では日常的な風景である。

そのコーヒーが日本人に定着するまでの歴史を、いろいろな喫茶店の登場に沿って調べてみた。

コーヒーが初めて登場したのは、長崎

※復元された平戸オランダ商館の外観(c)Hkusano

日本人で初めてコーヒーを口にしたのは、長崎の出島のオランダ商館に出入りする人たちであろうと考えられる。

1795年(寛政7)に蘭学医の廣川 獬が『長崎聞見録』に「コーヒーは蛮人煎飲する豆にて…」と書き、長崎では早くから知られていたようである。

なお「コーヒー」の名は1789年(寛政元)に蘭学者の森島中良が記した『紅毛雑話』に、「古闘比伊(コツヒイ)」とあるのが初見とされる。

当時の日本人は、その苦さに戸惑ったようだ。

日本初の喫茶店「可否茶館」開店

コーヒーは江戸時代は薬用だったが、明治に入って嗜好品として普及する。

日本で初の喫茶店は、日本生まれの中国人、鄭永慶が1888年(明治21)4月13日に東京下谷区西黒門町(現 台東区上野)に開店した、「可否(カヒー)茶館」である。

「可否茶館」は喫茶室でトランプや将棋・囲碁ができ、外国の図書・新聞などが読める読書室、宴会場、化粧室もあった。現代のネットカフェが近い存在だろうか。

時期尚早過ぎて1891年(明治24)に、4年で倒産した。

ついでカフェーも登場する

※カフェー・プランタンの店内

1911年(明治44)3月、東京・京橋日吉町(現 銀座8丁目)に洋画家の松山省三が、欧風のカフェー「カフェー・プランタン」を開店する。

これが日本初の「カフェー」で洋名の元祖といわれ、女性の給仕を「女給」と呼んだ最初の店でもある。

この女性がお酌をする形態のカフェーはのちに酒場として発展し、「特殊喫茶」と呼ばれる風俗営業になった。

同じ年の12月、「ブラジル移民の父」と呼ばれる水野 龍が東京・京橋南鍋町(現 中央区銀座)に、「カフェー・パウリスタ」(現 銀座カフェーパウリスタ)を開店した。こちらは純粋な喫茶店で、文人や新聞記者などの集まる場になった。

「カフェー・パウリスタ」は全国に支店を増やし、大正時代には湯で希釈して飲むコーヒーシロップの販売も行なっている。日本にコーヒーを広めた功労者といっても過言ではない。

昭和初期にはコーヒーは人気者になる

昭和に入り、喫茶店が大流行する。

1933年(昭和8)神奈川県横浜市に、日本初・現存する最古のジャズ喫茶「ちぐさ」が開店する。

ジャズの生演奏を楽しみながら、コーヒーを味わうスタイルの店である。

1939年(昭和14)、ラジオ番組のテーマ曲の『一杯のコーヒーから』(歌:霧島 昇・ミスコロムビア)が大ヒットした。

コーヒーを飲むことは特別なことではなく、日常的なことになった。

戦時中はコーヒー暗黒時代

しかし太平洋戦争に突入して、1942年(昭和17)にはコーヒー豆の輸入が統制され、コーヒーは庶民の口に入らなくなった。

贅沢品」「敵国飲料」といわれ、コーヒー好きの庶民は大豆・どんぐり・ユリの根・つくばねなどを煎って、代用コーヒーを作って飲み、しのいだ。

戦後は喫茶店が大発展、大流行

終戦後、1950年(昭和25)にやっとコーヒー豆の輸入が再開。喫茶店が復活すると、一気にさまざまなスタイルの喫茶店が登場した。

※純喫茶パール 広島市に2012年まで存在した純喫茶 wiki(c)Taisyo

豪華な内装の「純喫茶」、家庭には置けない立派な音響装置でクラシック音楽を流す「名曲喫茶」、アコーディオンの伴奏で客たちが一緒に歌う「歌声喫茶」、ヨーロッパのログハウス風な「山小屋喫茶」、シャンソンの生歌が聴ける「シャンソン喫茶」など。

これらのうち、シャンソン喫茶、ジャズ喫茶が衣替えしたロカビリー喫茶などは、現在のライブハウスのさきがけとなった。

インスタントコーヒーの登場、自宅で飲める時代に

1899年(明治32)にシカゴ在住の日系2世の化学者、加藤サリトル博士がインスタントコーヒーを発明し、「ソリュブルコーヒー」と名付けた。

1960年(昭和35)8月に、森永製菓が日本で初めて国産インスタントコーヒーの販売を行なう。「タッタ…5秒」のキャッチフレーズが好評だった。12月にはゼネラルフーヅ(現 味の素AGF)が、「マックスウェル」を発売した。

これらインスタントコーヒーの登場により、家庭でも安く手軽にコーヒーを飲めるようになった。

コーヒー専門店が登場、本格的レギュラーコーヒーが身近になる

1970年代に入ると、コーヒー専門店が登場した。

オープンカウンターを備え、厳選した豆を自家焙煎し、コーヒーサイフォンやドリップなどこだわりの方法で入れたコーヒーを提供する店である。

現在普及しているサイフォンの原型は、1840年代に登場したサイフォンを1925年(大正14)に河野 彬が改良し、販売した「河野式茶琲サイフォン」である。

1973年(昭和48)にはフィリップス家電がコーヒーメーカーを発売、1974年(昭和49)には西ドイツからペーパードリップ式コーヒーメーカー「メリタ」が上陸した。

コーヒー専門店などでコーヒー豆を購入し、家庭でレギュラーコーヒーを入れて飲める時代になった。

シアトル系コーヒーの隆盛、時代はサードウェーブへ

1996年(平成8)8月、東京銀座にスターバックス第1号店「銀座松屋通り店」が開店した。

これを契機に、エスプレッソコーヒーをベースにアレンジを加えた「シアトル系コーヒー」が流行する。

※アメリカ・シアトルにある1号店。2017年1月現在もオリジナルデザインのロゴを使用して営業中している。

2015年(平成27)2月、アメリカのブルーボトルコーヒーが東京江東区に「清澄白河ロースタリー&カフェ」を開店し、「サードウェーブコーヒー」といわれる。

「サードウェーブ」の特色である豆自体や焙煎、入れ方へのこだわりは、従来の日本のコーヒー専門店の特色でもある。

その流れからか、2020年(令和2)は純喫茶が見直されている。

(文/hanaasagi : 草の実堂編集部)(画像:wiki(C),public domain)

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