「クゥオランティーン」語源は中世のペスト封じ 新型コロナ感染拡大のイタリア・ベネチアの無人島由来

イタリア・ベネチアのカーニバルでマスクを披露する女性職人。かつては同じ形のものをペスト患者を診る医者が実際に使用していた(ロイター=共同)

 新型コロナウイルスの感染が欧州で突出して広がっているイタリア。2月21日に北部ロンバルディア州で38歳の男性の感染が発覚したのを皮切りに感染者は日増しに増加した。政府は感染者の大部分を占める同州などの自治体を封鎖し、住民の移動を原則禁止するなどウイルス封じ込めに躍起となっている。

 ところで、感染症の流入防止のため実施される「検疫」は英語では“quarantine”(クゥオランティーン)と言うのだが、これが何世紀も前にイタリア北部のベネチアで使われていた言葉が語源となっているのはご存じだろうか。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の事例を挙げるまでもなく水際対策の難しさがあらわになっている今、感染症との闘いの歴史を言葉の由来からたどってみたい。(イタリア語通訳=持丸史恵)

 ベネチア本島北岸から水上バスに乗って15分ほどのところに、ラッザレット・ヌォーヴォと呼ばれる島がある。現在は、いくつかの簡素な建物とわずかな緑が見られるのみの無人島だが、かつてここは島ごと宿泊施設の整備された検疫施設として使われていた。

水上バス船上から望むラッザレット・ヌォーヴォ島。中央の小屋は水上バス乗り場=2014年9月

 8世紀から独立した国家を形成していたベネチア共和国はアドリア海の女王と称されるほど、地中海貿易で栄えた。東方から運ばれてくる珍しい品々と、多くの外国人が行き交う国際都市は、その富を謳歌する半面、常にさまざまな疫病に触れる危険と隣り合わせだった。なかでも、中世ヨーロッパの国々にとっての脅威はペストだった。

 「黒死病」と恐れられたペストは14世紀に広範囲で大流行し、膨大な数の犠牲者がでる原因となった。こうした惨状を経験したベネチア共和国議会は1468年、ラッザレット・ヌォーヴォ島を検疫所とすることを決定。当時、ペスト菌がネズミに寄生するノミを介して人に感染することはまだ解明されていなかったものの、隔離が防疫に有効な手段であることはわかっていた。実際、これに先立つ1423年、ベネチア共和国はペスト患者の収容施設をラッザレット・ヴェッキオ島に設立している。その島は城壁に囲まれた隔離病棟であった。

 一方、ラッザレット・ヌォーヴォ島はヨーロッパで初めて導入されたベネチア共和国の検疫施設だ。外国から帰国した船を本島に直接着岸させず、乗員と商品はいったん全てこの島で降ろされた。商品はそれぞれ分類された上で倉庫へ。人は個室の宿泊施設にとどめられた。島から出られないという制限はあったものの、滞在中は食事が無料で提供され、不便のないよう配慮されていたらしい。16世紀に建築家ヤコポ・サンソヴィーノが設計した建物には、100以上の個室が用意されていたことが現存する資料からわかっている。

 ここで使われた用語が“quarantina”(クアランティーナ)。もともとイタリア語で「約40」を意味する言葉だが、この島(検疫所)で40日間隔離されることをそう呼ぶようになった。実際には航海の時期や訪問国、期間などにより検疫期間も40日とは限らず幅があったようだ。17世紀ごろになると、英語でも“quarantine”というと検疫や隔離、あるいはその場所を示す言葉として使われるようになったらしい。

 もっとも、一定期間隔離するという「クアランティーナ」の概念自体は、ベネチア共和国に先んじること百年ほど前、アドリア海東岸に位置するラグサ共和国(現在のクロアチア、ドブロブニク)が最初とされる。1377年に同国は、汚染地帯からの船は入港前に一定の隔離期間を経ることという条例を発布する。海上では1カ月、陸上移動の場合は40日間の待機が求められた。ラグサは1358年にベネチア共和国から独立を果たし、同じく地中海貿易で覇権を競っていた。

 ちなみに現代のイタリア語では“quarantena”(クアランテーナ)が同じ意味で使われている。同じようにイタリア語で、伝染病院、隔離病院のことを“lazzaretto”(ラッザレット)と言うが、これも、島の名前に由来している。

ラッザレット・ヌォーヴォ島にあった検疫所の建物跡。発掘作業が進められている=2014年9月

 ラッザレット・ヌォーヴォ島では、現在も発掘調査が続けられている。毎年4月から10月の間は、指定の日時に訪ねるとボランティアガイドの案内で見学が可能だ。

 ベネチアを歩くといくつもある仮面の店に、ひときわ奇妙な形のものがあるのに気づかれるかもしれない。カラスのような長いくちばしが伸び、目の部分に丸い穴が開いただけの白い不気味な仮面は、16世紀にフランスの医師が考案したペスト患者を診る医者が実際に使用していたものだ。長いくちばしの先には殺菌効果のある薬草類が詰め込まれている。医者はこれに黒い裾の長いマントをはおり、手袋をしていた。

島内の博物館に展示されている医師用のマスク断面=2014年9月

 ベネチアではこれらの仮面や色とりどりの衣装を身につけた人々が集まる伝統行事カーニバルが2月8日に開幕、当初は同25日まで予定されていたが、ウイルス感染拡大防止対策のため、23日で急きょ繰り上げ閉幕となった。

 ベネチア市内の美術館やサン・マルコ大聖堂など観光名所や映画館なども2月末時点で全て休館、閉館となっている。ロンバルディア州の州都ミラノでは、サッカーの試合やオペラの殿堂スカラ座も公演の中止や延期が決まった。

 影響は観光、娯楽にとどまらない。ミラノではイタリアの主要ブランドなどが新シーズンのプレタポルテ・ファッションを発表するショーが行われていたが、2月23日から予定していたジョルジオ・アルマーニは急きょ、無観客での開催とオンラインでの配信に切り替えた。

 またイタリアで開かれる国際的な見本市でも延期が相次いだ。世界最大の児童書専門の見本市として知られるボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアや、同じく世界最大級の国際家具見本市であるミラノ・サローネはそれぞれ1~2カ月程度の開催延期を発表した。

 こうしたイベントの中止や延期は、イタリアの産業、経済に大きな影響を与えることは必至だ。だが、早めに決断し、行動することでダメージを最小限に食い止めようという意思が明確に見て取れる。一刻も早く国民の健康を担保し、不安材料は払拭して遅めの春を迎えたいと言うのが誰にとってもの願いであろう。

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