仁丹の効能について調べてみた

仁丹 について調べてみた

今よりだいぶ昔、お正月になると必ずお年玉をくれるおじさんがいました。そのおじさんが懐から出すお年玉のポチ袋はいつも仁丹の香りがしていました。

私が子供の頃は、電車の中や人混みの雑踏にはいつもふんわりと仁丹の香りが漂っていた気がするのだけど。

今、仁丹の香りがわかる人ってどれくらいいるのでしょう?それだけで昭和生まれかどうかがわかりますね。

今や若者からおじさんまであの白いタブレットをシャカシャカさせている。そこで「懐かしの」と、つい形容したくなる仁丹について調べてみました。

仁丹の歴史

仁丹がこの世に生まれたのは124年前(現在2017年)、1905年(明治38年)。

当時の日本は日露戦争の只中で、公衆衛生の観念も低く医療設備も不足していたため、風邪や食あたりといった今では考えられないような病気が原因で、あっけなく命をなくしていたのです。明治24~31年の日本人の平均寿命はたったの43歳、現在の半分ぐらいしかありません。

このような状況に森下仁丹の創業者である森下博氏は、万病に効く薬の開発を決意したのでした。

森下氏自身が1895(明治28年)の日清戦争に出征しており、その際に台湾で見た丸薬をヒントに、飲みやすくて携帯しやすく保存に便利な薬を目指したのです。

こうして数々の生薬の配合に試行錯誤しながら、3年をかけて仁丹の処方を完成させました。

また当時から製薬業の栄えていた富山(越中富山の薬売り~♪)へ出向き、優れた製丸機と優秀な製丸士(手作業で均一な丸い薬を作る人)を迎えていよいよ発売となりました。

仁丹の変遷

仁丹といえばピカピカに光る銀色ですが、発売当時はなんと赤い色をしていたのです。

しかも今よりだいぶ大粒だったとか。

1905年の商品名は「赤大粒仁丹」…非常にわかりやすいストレートなネーミングですね。

生薬のコーティングにベンガラという酸化鉄を使っていたことから赤色になったようです。

その後、1927年(昭和2年)に「赤小粒仁丹」、そして1929年(昭和4年)にはお馴染みの「銀粒仁丹」になりました。

また発売時には「消化と毒けし」と広告していたように、あくまでも「」の扱いでしたが、現在の仁丹は医薬部外品の「清涼剤」として販売されています。

また通販サイトなどでは、仁丹のお仲間である「梅仁丹」や「レモン仁丹」を「お菓子」として取り扱っているところもあります。

仁丹の効能

仁丹の具体的な効能って、ご存知ですか?

一粒の仁丹は、甘草・桂皮・生姜・丁子・甘茶などの16種類の生薬からできています。

原料の厳選から始まり、粉砕、製丸、乾燥、コーティングなどの作業が終わるまでに8日かかります。機械化が導入されても出来上がるまでの工程は当時とほぼ同じだそうです。

こうして完成したピカピカの仁丹にはどんな効能があるかというと

気分不快・口臭・二日酔い・胸つかえ・悪心嘔吐・溜飲・めまい・暑気あたり・乗り物酔い

と、まさに創業者が目指した万能薬ぶり。(薬ではありません)

お味はというと、破壊力抜群のスカスカ味というか、ミントが束になってきた感じというか、ジャイアンの歌並みのパンチというか、とにかくミント系のガムなどが口先だけスカスカするのとは違って、仁丹は胃までスカスカします。(あくまで個人的感想です)

二日酔いだろうが乗り物酔いだろうが勝てる! といった味なのです。長年にわたり愛好家が絶えないのもうなずけます。

真偽のほどは是非ご自分でお試しください。

ところで、仁丹のマークの紳士の職業はなんでしょう?

一見、軍人さんにも闘牛士さんにも見えますが、実は「外交官」。

大礼服(宮中などの儀式の際に着用した礼服)を着こなして微笑んでいる(ように見える)ダンディーな男性です。創業者の「仁丹は薬の外交官たれ」という願いが込められているのだとか。

日本にとどまらず世界中の人の役に立つように、ということですね。

まとめ

実は、調べ始めた当初はひそかに心配だったのです。

「仁丹」を知らない世代が増えつつあるような気がして、どうしているかと。しかし完全な取り越し苦労でした。

長い歴史と生まれた背景、一粒に込められた技術や効能を知るほどに安心しました。まだまだこれからも現役。

こじゃれた白いあいつらもいいけど、時々は銀のこいつもよろしくお願いします。

一家に一仁丹です。

(文/kechako

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