中島みゆきと吉田拓郎の「ファイト!」カバーはオリジナルを超えるか? <前篇> 1983年 3月5日 中島みゆきのアルバム「予感」がリリースされた日

歌い継がれる曲、カバーを歌う歌い手はダメなのか?

こうしてコラムを書いていると、改めていつもカバーソングというものを気にかけている自分に気づくことがある。過去のコラムでは「ケアレス・ウィスパー」「ブルーに泣いている」「今夜はANGEL」など、カバーソングについて何度も書いてきた。カバーを歌う歌い手はダメなのか?

『郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎「新御三家」がくぐり抜けたそれぞれの80年代』
『80年代タイヤメーカーCMの充実 ~ 洋楽もどきのブリヂストン』
『カバーの女王「椎名恵」さしづめ彼女はシンガーソングトランスレーター』

繰り返し書いているようだが、80年代は歌を書いて歌う人のほうを上に見る風潮があった。じゃあ歌を作る人がみんな他人の歌を歌うことはないのか。いや、歌い継がれる曲、名曲の数々は誰だって歌ってみたいと思うものではないだろうか。

意地やプライドは捨てて自分が唄いたいと思った歌を歌えばいい。ただし、それがリスペクト、あるいはトリビュートというムーブメントとなって現れるのは、相当後になってからのことである。

中島みゆき「ファイト!」は、吉田拓郎の作風そのもの?

ところで吉田拓郎が歌う「ファイト!」をはじめて聴いた方の多くは、これを彼自身の作品だと思ったのではないか? かく云う私もその一人である。

 あたし中卒やからね
 仕事をもらわれへんのやと書いた

この冒頭の歌詞のくだりは、その字余り具合といい、方言アクセント(本人は広島弁)をあざとく入れてみせる語りといい、吉田拓郎の作風そのもの。もっとも作者である中島みゆきは、かつては拓郎の追っかけをしていたというぐらい彼を尊敬しており、実際にリスペクトして作風を似せた楽曲もあると明かしている。

果たして「ファイト!」がそれにあたるのかは定かではないが、とにかく拓郎自身が「あれはオレの歌だ」と言って自ら歌うことを望んだというから、みゆき姐さんも本望というものだろう。なぜ「ファイト!」がそう聴こえるのか。歌詞の運びももちろんだが、その世界観、世渡りもおぼつかない若者の視点、言葉の選び方など多くの共通項も見出すことができる。

「ファイト!」と「元気です」に見える共通点

そこで思い当たったのは当時CMで人気が沸騰した宮崎美子主演で話題となったドラマと同名の主題歌「元気です」だ。このドラマ自体は1980年10月から放送されたもの。

 誰もこっちを向いてはくれません

一人称語りで始まるこの出だしだけで、主人公の設定に通じるものが見えてくる。極めつけはそのコード進行「C Am F C Am Em F C…」あら、全くの一致! こういった専門的な解析はいずれスージー鈴木さんにお願いするとして、これだけでもいかに「ファイト!」が拓郎的であるかが垣間見えるような気がするのだ。

パフォーマンスの面でも、とかくシリアスな内容も淡々と歌い上げるのが両名の共通するスタイルである。ただ本家みゆき姐さんの場合は、わざと舌ったらずな歌い方をしたかと思うと、コンサートなどでは美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」ばりに熱唱することもあるということだから、変幻自在である。

アルバム「予感」の最後を締めくくる、強いメッセージ性

元々「ファイト!」は『中島みゆきのオールナイトニッポン』に届いた一通のハガキに書かれたエピソードに触発されて書かれたといわれている。シングル曲というよりはアルバムの中で大切に扱われる私的な楽曲。アルバム『臨月』における「夜曲」、『寒水魚』における「歌姫」などと同様に最後を締めくくる曲として、続くアルバム『予感』に収められた。この曲は拓郎氏に歌われるまで、実は10年以上もの歳月を要している。

しかしこれだけ強いメッセージを持った佳曲なら、いずれは世に出てくるもので1994年に保険のCMに使用されたことをきっかけにシングルカット。ドラマ『家なき子』の主題歌「空と君のあいだに」とのカップリングでリリースされ、より多くの人たちの耳に触れることとなったのだ。

『中島みゆきと吉田拓郎の「ファイト!」カバーはオリジナルを超えるか? <後篇>』に続く

歌詞引用:
ファイト! / 中島みゆき
元気です / 吉田拓郎

※2017年8月17日に掲載された記事をアップデート

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