狂騒の初来日!ローリング・ストーンズがやってくる、マジ?マジ?マジ!<後篇> 1990年 2月14日 ザ・ローリング・ストーンズの初来日公演(初日)が東京ドームで行われた日

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1990年2月14日、ローリング・ストーンズ初来日公演!

1990年2月14日、東京ドームはローリング・ストーンズの登場を待つ観客で、熱気にあふれていた。ついに実現した初来日公演。さすがに報道も盛んで、スポーツ紙の一面にも “ストーンズ” の文字が躍るほど。発売日に即ソールドアウトした前売り券はプラチナチケットなどと呼ばれたりしていた。

しかし、本当にあれはプラチナチケットだったのか? というわけで前回に続き、ストーンズ初来日の記憶を書き記しておく。

東京ドーム全10公演、チケットはコンプリート!

大学の卒業旅行のつもりで “全公演行く!” と意気込んで徹夜して並び、9公演中4公演分のチケットしか押さえられられなかったチケット発売日の思い出は前回記したとおり。一週間後、ダメ元でチケットぴあに再び行ってみたら、キャンセル分なのかどうかわからないが、あっさり2日分のチケットを取ることができた。サプライズ、サプライズ!

さらに一週間後、追加公演が発表された。チケットをゲットできるか心配で、またまたやきもきしていたが、こちらはさほど苦労せず入手できた。さらにさらに、チケットを取ったはいいが余った… という話も相次いで転がり込んできた。およそ19回の神経衰弱を経て、とりあえず全10公演分のチケットは1月のうちにコンプリート。こうもトントン拍子に話が進むと、本当にソールドアウト公演なの!? という疑惑も芽生えてくる。

ともかく、こちらは準備ができた。しかし、ストーンズが日本の土を踏むまでは安心できない。なにしろ麻薬所持の前科がある人たちだし、その10年前のポール・マッカートニーの例もある。「頼む~、ドラッグなんか持ち込まず、なんとか無事に入国してくれー……」と思ったのは筆者だけではないだろう。

ストーンズのメンバーも無事入国、あとは初日を待つばかり!

なので2月某日、公演初日の3~4日前だったと思うが、ストーンズのメンバーが無事に入国したとスポーツ紙で知ったときはホッとした。コングラチュレーション!その後、記者会見が開かれたのを知ったのもスポーツ紙。そんな一挙一動がニュースになるほどだったから、来日公演の注目度の高さもうかがい知れるというものだ。

そして2月14日、だ。“レット・イット・ロック” な気持ちもパンパンになったオーディエンス。客電が消えた瞬間に地鳴りのような歓声が沸き起こり、「コンチネンタル・ドリフト」が鳴り響く。ブレイク、そして照明が灯るや、キースが「スタート・ミー・アップ」のリフを弾き出す!おー、ヤバい、こちらは早くも涙目だ!

とにかくアタマがぶっとんでしまった初日。以後、連日通ってはシンガロングしたり、絶叫したりの “ジャンピング・ジャック・フラッシュ” な10公演。それでも回を重ねると少し冷静になって、周囲を見回す余裕も出てくる。開演前にドーム周辺をウロウロして気が付いたのは、当日券を売ってるらしい…… ということだ。初日にはさすがに当日券売り場は開いていなかったが、その後は窓口が開いているのを何度か目にした。ソールドアウトのはずなのに、なぜ?

財布も貯金もすっからかん、自分の人生において最大のバカ騒ぎ!

2月24日の土曜日、公演8日目、チケットを取っていない従弟が田舎から上京し、ダフ屋からのチケット購入を覚悟して東京ドームへ。そしたら、あっさり当日券売り場でチケットが買えたという。しかも、席は自分よりもイイじゃないか!どういうこと!? アイ・ドント・ノウ・ホワイ…。

後日、事情通の方から、スポンサーサイドが押さえていたチケットが余り、それが当日券に流れたんじゃないか…… との話を聞いた。ちょっと公平さに欠けるなぁという気もしたが、泣いても無駄。とにかく、自分の持ち場で楽しむしかない。

2月27日火曜日、公演最終日のちょっとセンチな “ルビー・チューズデー”。これが最後と思うと、シンガロンの声も自然とデカくなる。終わってみたら、10日分のバカ騒ぎで喉はガラガラになっていた。各終演後は当たり前のように飲み歩いたので、財布も貯金もすっからかん。思い返すと、これが自分の人生において最大のバカ騒ぎだったかもしれない。ともかく、ストーンズに感謝だ。“卒業旅行” の思い出をありがとう。ウィ・ラヴ・ユー!

カタリベ: ソウママナブ

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