被爆地との距離 縮められる 彫刻家・小田原のどかさん 長崎原爆を題材に制作

彫刻がその場所にある意味や意義について考察を続けている小田原さん=長崎新聞社

 昨年、企画展が一時中止になった国際美術展「あいちトリエンナーレ2019」で、長崎原爆を題材にした作品を展示した彫刻家で研究者の小田原のどかさん(34)=東京都=。2011年から原爆や平和に関する長崎の公共彫刻の在り方について研究しているという。今年は被爆75年。彫刻を通した長崎や原爆への思いを聞いた。

 -長崎に関わるようになったきっかけは。
 宮城県出身で、長崎には縁もゆかりもなかった。08年、「彫刻が“ここ”にある意味」について追求しようと思い、「今、ここ」を意味する下向き矢印の形状をした彫刻を作り始めた。2年後、ある学芸員から「長崎にも矢印があったことを知っていますか」と聞かれ、写真や関係資料を見せてもらった。そこで自分の作品に似ている矢羽根型の標柱が、1946~48年に長崎市松山町の爆心地に設置されていたことを知った。多くの人が亡くなった場所に、慰霊や追悼ではなく、抽象化した記号的なものが出現していたことに驚いた。それから矢羽根型の標柱について調べ始め、14年に初めて長崎を訪れた。
 -長崎で何を思ったか。
 数人の被爆者から体験談を聞いた。原爆投下が昨日起きたかのように繰り返し話してくれた。涙がこぼれた。何十年もたっているのに苦しい思いをしながら話し続ける覚悟や、社会のためだけではなく、自身の記憶の風化を防ぐためにも語り続けていることを感じ取った。一方、平和祈念像や爆心地公園の母子像を見ても、多くの人が亡くなったことや、生き残った人がどれほど大変な思いをしたかが分からない。私は被爆者の思いを知ったからこそ、祈念像や母子像は、犠牲者に対しふたをすることに加担しているように感じた。
 -彫刻の在り方は。
 モニュメントの語源は「思い出させる」「警告する」。人間の寿命は限られているので、存在したことや起こったことを忘れさせないようにするために彫刻を作る。さらに、ただ作るだけではなく、彫刻について活発に議論し、設置する意義などを語り継がなければならないと考える。

 -彫刻、美術で原爆を伝え続けるためには。
 西洋彫刻は主に人物。長崎にも、平和祈念像を手掛けた北村西望さん、母子像の作者、富永直樹さんら具象彫刻の流れが明確にある。だが最近は原爆や平和を人物だけでなく、森淳一さんら風景を抽象表現する美術家も出てきた。これだけ具象作品があふれた長崎に、全く違うタイプの作品が出てきたことはとても重要だと思う。
 8月に長崎や広島の式典中継などを見ると、「教訓にしろ」「忘れるな」と説教されているような気分になっていた。長崎や広島の人たちと比べ、平和教育を十分に受けていないため、心理的に原爆と距離があった。だが、今はその距離を縮めることはできるのではないかと思っている。例えば原爆資料館で展示物を見ることが、若者にとって「格好良いこと」になればよい。知ることは、物事を考える上で豊かな判断材料になる。表現に関わる若い人たちには、「自分で訪ねて知ることは面白いよ」「知らないことはもったいないよ」と伝えている。

 【略歴】おだわら・のどか 1985年生まれ。宮城県出身。2010年、東京芸術大大学院美術研究科修了。15年、筑波大大学院人間総合科学研究科博士後期課程修了。同年、全国規模の公募展「群馬青年ビエンナーレ」で長崎原爆を題材に制作したインスタレーション作品「→」が優秀賞。19年の「あいちトリエンナーレ2019」では豊田市駅周辺で展示した。現在、多摩美術大非常勤講師。彫刻家、研究者として近代初期および戦時下における日本の彫刻を批評的に扱う。

「あいちトリエンナーレ2019」で展示された小田原さんの作品「↓(1946-1948)」(あいちトリエンナーレ2019提供)

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