“空気機関車”になったD52

太いボイラーがぎりぎりまでせり出し、迫力満点のD52の面構え

 【汐留鉄道倶楽部】国内最強の蒸気機関車に「D52」を挙げるSLファンは多いだろう。その70号機は長い間御殿場線を舞台に活躍し、1970年から同線の山北駅(神奈川県)に隣接する鉄道公園で保存されてきた。2016年秋に圧縮空気で“動態復活”したニュースは耳にしていたが、ようやく動く様子を見る機会を得た。

 かつて御殿場線が東海道本線の一部だったころ、山北町は「鉄道の町」として栄えたという。今は駅前の商店街も活気があるとは言えないが、あちこちに「日本でここだけ! D52動きます」と運行予定を告知するポスターが。桜の季節には有名な撮影スポットになる跨線橋を渡ると、ほどなく鉄道公園に到着した。

 このD52と対面するのは10年ぶり。当時から屋根の下にきっちり収まっており、保存状態は良好だった。SLの前の生け垣がなくなり、そこから約12メートルの線路が新たに敷設されていた。

 運転は月に1回。この日の2回目の運行時間(13時)が近づくと、それらしい服装の男性が現れた。炭水車に上り、圧縮空気を送り出す2台のコンプレッサーを始動。これが結構うるさい。それでもSLに近寄ってみると圧縮空気が行き渡り始めたような音も聞こえた。“息を吹き返した”という表現がぴったりだ。

 運転を見ようと集まったのは30人ほど。若い担当者から「お越しいただきありがとうございます。本日2回目の運行を開始させていただきます」とアナウンスがあり、いよいよSLが前進した。

 圧縮空気がシリンダー内のピストンを動かし、その往復運動が主連棒(メインロッド)などを通じて動輪を回転させる。整備が行き届き、動きは実にスムーズだ。

 片側に四つずつある直径1.4メートルの動輪が約2回転半して止まり、今度は元の場所までバック。そしてまた前進。これを10分ほどひたすら繰り返すだけなのだが、蒸気で復活運転をしているSLではありえない近さでロッド類の精巧な動きを観察できる。SLファンのみならず、メカ好きの人や子供はいつまでも飽きずに見ていられそうだ。

 D52を運転した男性は、鳥取県の第3セクター、若桜鉄道の谷口剛史さん(45)。同鉄道が2007年に圧縮空気でC12を復活させた際、“空気機関車”のパイオニア的存在で、D52復活にも尽力した恒松孝仁さんの指導を受けた。

 その恒松さんがD52復活直後に交通事故で亡くなるという痛ましい出来事があり、谷口さんが引き継いで今日に至っている。谷口さんは山北町のほか真岡鉄道(栃木県)有田川鉄道公園(和歌山)の圧縮空気機関車にも携わり、貴重な技術で鳥取県の「輝(き)らりマイ☆スター」の第1号にも認定されている。

(上)このむき出しの機能美こそ、SLの大きな魅力の一つだ、(下)谷口さん(左)と関根さん。運転操作の貴重なお話も聞かせていただいたが、理数系が苦手な筆者にはちょっと難しかった

 谷口さんに、少しお話をうかがうことができた。「1カ月に1回動かさないと固まってしまうので、維持管理のために来ている」そうだ。谷口さんが運転席で様々な操作をしている間、国鉄OBで秩父鉄道のC58の整備も担当した関根利夫さん(71)が各部をチェック。

 「関根さんが周りから見てくださって、ここが悪そうだね、とか動くことでしか見えないところがある。なかなか運転しながら外って見えない」。二人三脚で、動くD52を支えている。

 実は今回のコラムの構想段階では、タイトルを「山あいの町に響くD52の汽笛」に決めていた。しかし汽笛は一度も鳴らず、少しがっかりした。聞けば月1回は「整備運行」で、近隣住民への配慮もあるという。豪快な汽笛を響かせるのは「桜まつり」「D52フェスティバル」「産業まつり」の年3回だけだそうだ。

 SLファンにはマンモス機関車D52が動くというだけで十分感動ものだが、そうでない人にとっては12メートルの往復だけではいかにも物足りないだろう。それは関係者も認識しており、線路の延伸計画が動き出している。

 「汽車、汽車、シュッポ、シュッポって言うじゃないですか。この距離だと、音がしたかな、しないかなという程度。(距離が延びれば)本当に機関車の走る音が聞いていただけるかな」と谷口さん。いつの日か延伸が実現し、一段と力強さを増したD52にまた合いに来ようと思う。 

 ☆藤戸浩一 共同通信社スポーツ特信部勤務

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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