崩れ始めた欧州の理想 移民流入で極右台頭 ベルリンの壁崩壊30年、東欧は今(1)

ハンガリー南部アシュトホロムのセルビアとの国境に建設されたフェンスと監視塔=2019年11月(共同)

 米ソ冷戦が終結へ歩を早めた1989年、世界の分断の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊、東西欧州の再統合は、西側自由主義と民主主義が目指す世界秩序の完成を予期させた。あれから30年。富の偏在が生む「格差の壁」は今も内外を分断し、強権政治が台頭、民主化後退の暗雲が広がる。もろくも崩れ始めた理想と再び動きだした現実を、かつての壁の向こう側、旧東欧各地を中心に3回に分けて報告する。(共同通信=土屋豪志)

 ▽子のため、難民として欧州へ

 夕闇の寒気が強まる旧ユーゴスラビア、セルビア北部のハンガリー国境。2019年11月。彼我を隔てるフェンスと鉄条網の奥に、欧州連合(EU)への「開かずの関」と言われるハンガリーの一時収容施設が、投光器に浮かび上がる。東欧諸国の共産政権が相次いで崩壊した30年前、自由と豊かさ、民主主義と正義を求める熱気に湧いたハンガリーで、理念が色あせ難民におびえる欧州の姿があらわになっていた。

 「アフガニスタンを出たのは、子どもたちのためだ」。フェダ・ムハンマドと名乗る男性(43)が滑らかな英語で話した。16年から妻子4人と国境にいるムハンマド氏。難民申請をし、審査を待つ人々が滞在する一時収容施設のすぐ外にテントを張り、申請の機会を待つ。一度入ればいつ出られるか分からない「監獄」とも呼ばれる場所に、一家の望みをつなぐ。

 カブールの米警備会社などで働いたムハンマド氏は「稼げる仕事はあったが、治安が悪すぎた」と語る。1979年にはソ連が、2001年の米中枢同時テロ直後には米英が侵攻。アフガンは今も冷戦の混乱と貧困を抜け出せずにいる。タリバンや「イスラム国」(IS)などイスラム過激派の脅威も再燃し「子らの将来が描けない。親としてできるだけのことをしてあげたかった」。ムハンマド氏はそう話した。

セルビア北部ホルゴシュから撮影した、ハンガリーとの国境フェンスと投光器で照らされた一時収容施設(奥)=2019年11月(共同)

 ▽ハンガリー、ポピュリストへの変節

 旧共産圏で政権崩壊が相次いだ1989年、ハンガリーは「鉄のカーテン」と呼ばれた国境を開放し東側市民に西への脱出路を提供。自由と安定を目指す人々の流れは民主主義の理念を高揚させ、ベルリンの壁崩壊や東欧民主化を決定付けた。

 だが、現在政権を握るオルバン首相はEU内の反移民、強権政治の急先鋒(せんぽう)だ。ハンガリーの民主化は後退著しい。中東などから難民がなだれ込んだ2015年からの欧州難民危機に際しセルビア国境にフェンスを建設。18年7月には不法移民支援を犯罪化するなど厳しい対策を重ねてきた。

 人権団体「ハンガリー・ヘルシンキ委員会」によると、18年7月~19年11月にセルビア国境での難民申請が認められたのはわずか3件。申請受付も厳しく絞っている上、十分に審査せず追放する例も指摘されるなど、実質的に救済の道を閉ざしている。

ハンガリー・アシュトホロム、セルビア

 「不法移民はトロイの木馬だ」。ハンガリー側国境の町アシュトホロムの警備隊員、ナジュ・シャンドール氏(35)が話す。欧州社会に溶け込まないイスラム教徒の移民らは、いずれ域内で災いを起こすとの危機感から厳しい目を向けている。

 電流を通したフェンスと、10キロ以上先も見通す熱監視カメラが国境を固めても、不法越境は続く。かつて民主化の闘士だったオルバン氏は変節、ポピュリストの独善的政治を批判されているが、市民の排外感情が足元を支え、反移民ムードは最前線の東欧のみならず、全欧州を覆う。

 ▽スウェーデン、岐路に立つ伝統

 「平和に暮らしているわ。心配もない」。19年12月、スウェーデンの首都ストックホルム近郊の町リンケビューの衣料品店でアイシャさん(22)がスマホを片手に話した。ソマリアの首都モガディシオから両親と逃れてきたのは10年前という。

 色鮮やかな民族衣装が並ぶ店の店主は同郷の女性。近くの理髪店では、肌の黒い男性たちの笑い声が飛び交う。スーパーにも図書館にも、スカーフを巻いた女性や中東アフリカ系の人であふれる「難民の町」の穏やかな暮らしが垣間見えた。

 スウェーデンは、欧州難民危機の際にも人口比でEU内最多の難民らを受け入れた。だが、財源は無限ではない。自国民の社会保障水準低下への不満などを背景に、反移民の極右が18年の総選挙で第3党に台頭。スウェーデン伝統の寛容な移民難民政策は大きな岐路に直面している。ロベーン首相は20年1月、難民受け入れは「社会統合が可能なレベルまで大きく減少させる」と言明した。

 ▽EU離脱の英国、内なる貧困への不安

 「残留派よ安らかに眠れ」「ボリス(ジョンソン首相)は決して期待を裏切らない!」。英国がEUを離脱した20年1月31日深夜。離脱派市民らはロンドン市内で大集会を開き、「偉大なる英国への回帰」「理不尽なEU規則からの解放」とお祭り騒ぎに湧いた。だが、参加者からは約束されたはずの社会保障拡充に懐疑的な声も漏れていた。「年金はどうなるんだ…」(70代男性)。

 巨額のEU拠出金を英国の国家医療制度(NHS)の財源に充てるとした離脱派の主張は撤回され、年金補助を巡る制度改正の動きに懸念も広がる。貧困層への公的支援も不備が指摘されており、慈善団体などの食料無料配給所の利用者が急拡大している状況だ。

 EU離脱後初の日曜日、2月2日昼すぎ。家族連れや若者らでにぎわうロンドンの鉄道ターミナルの一つ、ユーストン駅近くの配給所には、1時間半の受付時間中に20人近くが訪れた。

 配給食料を入れたであろうショッピングカートを心もとない足取りで引いてゆく黒人の高齢者。黄緑の買い物袋や家具大手イケアの青いバッグを膨らませて足早に立ち去る働き盛りの壮年男性ら。駅の人波の中に、切実な表情が際立っていた。

セルビア北部の国境地帯の廃屋でハンガリーへの越境の機会を待つアフガニスタン出身の男性=2019年11月(共同)

 ▽遠い救済

 クレディ・スイス銀行の調査によると、世界の富の44%は世界人口の1%に満たない人々に集中。その富を抱えるはずの西欧や北欧諸国でも、内部では格差の亀裂が広がりつつある。福祉、厚生、教育基盤劣化への国民の不満の矛先が、移民・難民に向かう負の構図だ。

 13年にEUに加盟した旧ユーゴのクロアチアはEUの対外境界管理を強化、欧州内で人が国境を越え自由に往来する「シェンゲン圏」入りが19年10月に固まった。これに伴うように強まる同国の移民排斥の動きと、黙認するEUへの人権団体の批判も強い。

 「国境を開いた。欧州に向かう人々は近く数百万人になるだろう」。終局に近づいていたシリア内戦の情勢が再び悪化した20年2月、350万人以上の難民を国内に抱えるトルコのエルドアン大統領は、難民らの移動制限を解くと宣言した。トルコはEUからの資金提供と国民へのEU渡航査証免除などを条件に、難民らを国内にとどまらせていたが、約束が守られていないと主張。多くの難民はギリシャ国境に向かい、同国から旧ユーゴの「バルカンルート」を通じ大規模流入した難民危機の再来を恐れるEUは、入域阻止になりふり構わぬ姿勢を見せている。

 「越境の希望は捨ててないが…」。欧州の冬に震えるアフガン南部カンダハル出身の男性(31)が、ハンガリー国境に近いセルビアの廃屋でつぶやいた。「難民アレルギー」で保守・右傾化、人道主義や自由主義が疲弊する欧州の救いの手が遠いのを知っていたからだ。(続く)

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