野村克也氏 遺作。愛弟子、江本孟紀氏との共著『超一流 プロ野球大論』発売!

株式会社徳間書店は、 先日惜しくもこの世を去った、 元プロ野球選手として三冠王をはじめとする輝かしい成績を持ち、 ヤクルトスワローズ、 阪神タイガース、 楽天ゴールデンイーグルスの監督を務められた野村克也氏と、 その野村氏が選手兼任監督を務めた南海ホークスでともにバッテリーを組んで活躍し、 引退後は解説者、 講演会活動、 参議院議員としても活躍された江本孟紀氏の共著 『超一流 プロ野球大論』を、 3月11日(水)より全国順次発売する事が決定した。

2020年2月11日、 傑出した1人の男がこの世を去った。 27年間の現役生活では、 南海ホークス、 ロッテオリオンズ、 西武ライオンズで、 三冠王1回、 MVP5回、 本塁打王9回、 打点王7回、 首位打者1回、 ベストナイン19回と輝かしい成績を残し、 引退後は90年にヤクルトスワローズの監督に就任、 98年までの在任期間中に4回のリーグ優勝、 日本シリーズ優勝3回、 99年~2001年には阪神タイガース監督、 06年~09年、 東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた野村克也氏だ。 一方、 その野村氏が選手兼監督を務めた南海ホークス、 その後、 阪神タイガースへ移籍。 現役中、 開幕投手6回、 オールスター選出4回、 72年から6年連続200回投球と11年間活躍するも、 「ベンチがアホやから野球がでけへん」の言葉を残して引退。 その後は92年~04年まで参議院議員を務め、 現在は野球解説者や講演会、 執筆活動を続ける江本孟紀氏の師弟コンビが、 45年ぶりにバッテリーを組んだ。

本書では、 2人が現役時代の昭和から、 監督、 解説者として見てきた平成時代の名選手にフォーカスし、 江本の「どこにいくかわからない舌鋒鋭い野球論」を野村が受け止め、 「野球の神髄」や、 “超一流” だから語ることが出来る、 当時の「裏話」にまで、 互いのプロフェッショナル論をぶつけ合った、 プロ野球ファン必読の一冊となっている。そして、 くしくも野村克也氏の遺作でもある。

著者:江本孟紀 氏 コメント

この本は、 去年の夏から秋にかけて、 野村監督と僕がなんども一緒に収録を重ねたすえにできあがった一冊です。

それまでも野村監督と一緒にお仕事をさせていただく機会はありましたが、 ここまで濃密に話し込んだのは初めてです。 そして、 それが野村監督との最後の仕事になりました。 この本の原稿確認が終わった数日後の2月11日に野村監督は亡くなりました。 ですから、 訃報を知ったときはもちろんショックでしたが、 それと同時になんとも言えない不思議な気持ちになりました。

野村監督のご自宅に弔問にうかがうと、 野村監督は、 ヤクルトのユニフォームを着て、 昼寝をするように「寝て」いました。 『生涯一捕手』──座右の銘通り、 やはり野村監督はスーツ姿より、 ヤクルトのユニフォームがお好きだったと再認識した次第です。

最後にこうして野村監督と共著を出版できるのも、 きっと『野球の神様』が引き合わせてくれたのだと思います。 改めて「野村克也」という人間をひとことで表現すると?

あの人は野球以外考えていなかったですからね。 不器用なんでしょうね。 例えば人間に「自分の人生の円」があるとしたら、 「野村克也という円」の中には、 野球1つしかなかった。 政治だとか、 ほかのこと、 興味なかったんじゃないですか。 僕ら、 あちこちから、 いろいろな雑音が入ってくると気になってしまうけど、 野村監督はそういうこともなかったでしょう。

野村監督は、 野球があれば幸せな人。 ほかのことを考えなくて生きてこられた人。 そういう意味で『野球幸福人』でした。

いま野球はどんどん変わってきています。 変わること自体は悪くない。 むしろ時代やテクノロジーに即して野球は変わるべきでしょう。 しかし、 それが本質を損なう、 いびつな変化であってはいけません。 本質を損なえば、 それはたちまち単なる形骸化に堕落するからです。 これは野球に限ったことではないですが、 形骸化したものにはなんの魅力もない。

われわれ現役を退いた野球人の使命は、 「野球の神髄」を後世に伝えることです。 プロフェッショナルとはなにかを伝えることです。 野村監督との最後の共著になった本書は、 その一翼を担うものだと思っています。

この本で使う写真の撮影時、 カメラマンからわれわれ2人に「決めポーズ」のリクエストがありました。 「腕を組んでいただけますか?」との問いに野村監督は勘違いして、 恋人のように僕に腕をからませてきました。 胸の前での「腕組み」のことなのに(笑)。 野村監督の照れた表情が何とも言えずチャーミングでした。

『野球幸福人』野村克也は、 自らが大好きな野球をプレーしたこと、 指導してきたことで、 周囲の『野球人を幸福』にしてきました。

最後に。 『生涯一捕手』野村監督は言わずもがな偉大な捕手でした。 そして、 野村監督に見いだされて通算113勝をあげた僕も、 まずまずの「エース」だったでしょう。 ──われわれは『黄金バッテリー』でしたよね。 ねえ、 野村監督。

© 有限会社ルーフトップ