幼い頃から走るのが好きだった。上板中学校陸上部で短距離種目の練習を本格的に開始。1年の時、前回東京大会(1964年)の開会式をテレビで見て五輪への憧れを強くした。
小松島高校に進み、3年連続で全国高校総合体育大会(インターハイ)に出場した。3年だった69年の群馬大会は女子100メートルで準優勝。卒業後は岡山県の実業団チームで五輪を目指した。
予期せぬ悲運が襲ったのは72年。会社の業績悪化で陸上部の廃部が決まった。他チームへの移籍はかなわず、競技の継続を断念。職場の先輩だった義孝さん(69)との結婚を機に退社し、実家の建築会社を継いだ。
子育てが落ち着いた2007年から再び走っている。仕事の後の走り込みで持久力を高め、フルマラソンにも挑戦。4時間台前半の自己記録を持つ。
とくしまマラソンでは10年の3回大会から、選手の完走をサポートするペースランナーとして協力している。ゴール後に感謝の言葉を掛けられるのがやりがいだ。「現役の時は周囲の支えで頑張れた。今度は恩返しする番です」
聖火ランナーに選ばれ、憧れの舞台に関わる喜びをかみしめる。「元気な走りで、子どもや同年代を勇気づけたい」。トーチを手にする日を心待ちにしている。