共産圏変えた「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」 民主化後退で再び拡大 ベルリンの壁崩壊30年、東欧は今(2)

チェコ・プラハのラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティ本部で、ロシア語のインターネットニュースを生放送するスタジオ(共同)=2019年10月

 ソ連・東欧の共産圏諸国が欧州の中央で「鉄のカーテン」を引き、人の移動や情報の流れの遮断を試みた冷戦時代、西側から東側に向けて発射されたラジオ電波はカーテンを貫き、情報独占を図る東側の独裁政権を悩ませた。1989年に冷戦が終わり、東欧が民主化した後、こうしたメディアは規模を縮小。しかし、東欧の強権化で報道の自由が後退しつある近年、インターネットなどを舞台に再び活動を拡大しつつある。(共同通信=小熊宏尚)

 ▽アパート中がアンテナ

 2015年から18年にポーランドの外相を務めたウィトルド・ワシチコフスキ氏(62)が、西側の放送を聞き始めたのは冷戦期の10代の頃だった。ダイヤルを合わせたのは米国出資のラジオ・フリー・ヨーロッパ(RFE)やボイス・オブ・アメリカ(VOA)、英BBC放送、ドイツやフランスのラジオなど。「ポーランド国営局はつまらなかった。党の宣伝ばかり。時々クラシック音楽も」。ベルギー・ブリュッセルの執務室でこう振り返った。

 中でもRFEはよく聞いたという。世界で何が起きているのか。自主管理労組「連帯」の動きは。トイレットペーパーを買う行列はなぜ起きる―。同局は一党独裁下のメディアは伝えない、自国や共産圏の政治の動きや事件、事故を報道、西側に逃れた反体制派らの声も紹介。「RFEは私たちを〝教育〟した」と同氏は言う。

 当局は妨害電波で対抗したが、同氏は比較的聞きやすい周波数を探したり、ソ連製の高性能受信機を入手したり、アンテナを設置したりして西側報道を追った。アンテナといっても、ラジオから延ばした電線を自宅アパートの暖房機につないだだけ。暖房機は金属パイプでアパートの全戸とつながっており、金属部分がアンテナの役割を果たした。「つまりアパート全体がアンテナになっていたわけだ」

 ポーランドに戒厳令が敷かれた1980年代、ワシチコフスキ氏は同国中部ウッジ大学の歴史学講師だった。「当時は自宅でよくパーティーを開いた」と言う。どんちゃん騒ぎが近所に漏れてもお構いなしだった。

 「実は非合法冊子をつくっていたんだ。印刷機は大きな音がでるので、騒音を立てて機械の音が外に聞こえないようにした。ウオッカを飲み、音楽をガンガンかけて、ダンスして…。そういうのはポーランドでは普通のこと。あやしまれない」。政権に批判的な話題を載せる冊子の主要情報源の一つは、RFEなど西側のラジオだったという。

ブリュッセルの執務室で話すウィトルド・ワシチコフスキ氏=2019年11月(共同)

 ▽市民動かした誤報

 RFEは冷戦期の東欧に「公正で客観的なニュース」を伝え、民主化を促すため50年に開局した。ソ連向けの姉妹局ラジオ・リバティ(RL)とともに旧西ドイツ・ミュンヘンに本部を起き、東欧各国の公用語を用いて短波などで放送。東欧革命で大きな役割を果たす。放送対象国に自由なメディアがあれば行うであろう報道を代行する「サロゲート(代理)放送」を目的とする点で、同じ米国系でも政府の主張を伝えるVOAとは立ち位置が異なる。

 90年代以降、東欧各国に報道の自由が確立されたとみて、放送を順次縮小。2008年までに旧ユーゴスラビアの一部の言語を残すのみとなった。

 1995年には本部がチェコのプラハへ移転。冷戦期の同局の役割を高く評価したチェコ政府が誘致した。入館時は厳しい手荷物検査を受ける。要塞(ようさい)のような建物は「米国大使館と同じ仕様です」と広報担当者。ミュンヘン時代の81年には爆弾テロ攻撃も受けている。

 チェコの89年ビロード革命の際、RFEは当局の統制下にない唯一のメディアとして50万人もの市民が集まったプラハの反政権集会に記者を送った。「私も聞いていた。RFEは市民を動かした」と、革命時に若手カメラマンとして現場を駆け回った写真家マルティン・シミッド氏(56)は話す。

 その際、RFEは警官隊との衝突で学生が死亡したと伝え、人々の政権への反感を一層高めた。これは実は誤報。国営局は「うそだ」と繰り返したが、信頼されたのはRFEの方だった。

 ▽フェイクニュース対策

 歴史的役割を終えたかに見えたRFEが近年、再び活動を拡大しつつある。ルーマニア語とブルガリア語の部署が2019年に復活、インターネットでニュース発信を始めた。ハンガリー語も20年に復活する。

インタビューに応じるラジオ・フリー・ヨーロッパのジェイミー・フライ局長=2019年10月(共同)

 RFEのジェイミー・フライ局長は、東欧で「報道の自由が後退している」と活動拡大の理由を説明。自由だったメディアが次々と政権の影響下に置かれ「真に独立したメディアが大変少なくなった。それ(独立した報道)こそ、われわれがルーマニア、ブルガリア、ハンガリーで果たそうとしている役割だ」と話す。

 フライ氏は「長年のネオコン(新保守主義者)」(米紙ナショナル・インタレスト)と評される米共和党系の外交専門家だ。「米政府出資で『独立』と言えるのか」と質問すると、同局長は運営母体「米グローバルメディア局」は報道の独立性を保証していると強調した。

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」の報道自由度ランキングでは、06年には世界10位だったハンガリーが19年は87位に。15年に18位のポーランドも19年59位と急落した。ちなみに同年の日本は67位である。

 フライ氏は、東欧はフェイクニュースに弱いと言う。「欧州連合(EU)の起源はナチス」「今のポーランドは共産主義時代より貧しい」といった偽情報を公然、非公然に広める「ロシアの活動」に対処するため、RFE/RLは16年、こうした偽情報の誤りを指摘するサイトを開設。また、ネットと衛星テレビでロシア語ニュースの24時間送信も始めた。ロシアのほか、ロシア語を話す人が多い東欧バルト3国など旧ソ連の視聴者を意識している。

 旧ソ連は全世界に向けて大規模なラジオ放送を行い、自国と共産主義の宣伝を図ったが、効果は極めて限定的だった。しかしモスクワからは現在、衛星テレビ「RT」、ウェブサイト「スプートニク」がニュースを発信。EU欧州議会は16年、これらメディアが「EUの分裂、弱体化」を図っているとして非難決議を出した。決議は、ロシアの情報戦略に一定の影響力があることの裏返しと言える。

ラジオ・フリーヨーロッパ/ラジオ・リバティの編集部=2019年10月(共同)

 ▽愛国主義

 ポーランドでは16年、公共放送や通信社を国有化し、幹部人事を掌握する法律が制定された。愛国主義を背景に、ホロコーストなどナチスの犯罪に国や国民が協力したとの言説の流布は18年に禁止された。保守与党「法と正義」が進める報道統制は身内のEUからも批判を浴びる。

 ワシチコフスキ氏はポーランドの外相を退いた後、19年から同党所属のEU欧州議会議員を務める。報道の自由度急落への見解を求めると「事実と違う。わが国には民間メディアが多数ある。うそを流してもつぶされない」と話す。

 同氏はそう言うと執務室のテレビのチャンネルを変え、あるポーランド語のニュース番組を選んだ。画面を指さし「極めて反政府的な放送だ」と主張した。ただ、その局は米国資本。

 体制批判の報道は国外からという冷戦期の東欧の構図は、ベルリンの壁崩壊後30年後の今も続いている。(続く)

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