【3.11東日本大震災9年】片道5時間、福島支え 茅ケ崎の医師

来院した佐藤さん(左)と中尾さん(右)=10日、福島県南相馬市(本人提供)

◆希望生む「ありがとう」の一言

 東日本大震災の発生直後から9年間、神奈川県茅ケ崎市の医師が福島県南相馬市まで片道5時間をかけて通い続け、地域医療を支えている。産業医の中尾誠利さん(49)は、医師不足に悩む地元住民から「中尾ちゃん」と慕われる人情味あふれる医師だ。あまたの災害現場にも駆け付け、南相馬の人々が教えてくれた医療にも勝る言葉を重ね、各地の被災者に希望を届ける。それは感謝の心、ありがとう-。

 「求められればどこへでも飛んで行く。お節介焼きなんですよ」。湘南を拠点に産業医を務める中尾さん。使い古したスーツケースを引き、せわしなく次なる患者の元を目指す。「午後は茅ケ崎に向かって、明日は南相馬に…」。ぼろぼろになるまで使い古した定期券にひたむきな活動がにじむ。週4日を南相馬で過ごし、2日は千葉県内の病院、残る1日は茅ケ崎で働き、妻と5歳の長女が待つ自宅にようやく帰り着く。

 福島との縁は震災直前から。2011年2月、医師不足に悩む小高病院(南相馬市)の非常勤医師の募集要項が目に留まった。交通費に加えて電車の「特急料金支給」の文字。公立病院としては好条件だった。

 名乗りを上げた数週間後、東日本を地震と津波が襲った。東京電力福島第1原発事故が発生し、原発から半径20キロ以内に避難指示が出され、域内の小高病院は休診に追い込まれた。

 多くの被災者が故郷を離れる中、とどまる決断をした人々を思うと、待遇など頭から吹き飛んだ。「ここで引くわけにいかない」。被ばくの危険を顧みず、5月末から南相馬の医療ボランティアとして市立総合病院で月1回の診療を始めた。

 出勤が週1日、2日と増える中、心のケアにも当たった。いつしか住民から「中尾ちゃん」の愛称で呼ばれ、祭りでは屋台の設営に始まり、着ぐるみ姿で盛り上げに一役買った。来場者が体調を崩せば、その姿のまま手当てに駆けつけた。

 長距離移動後の体にむち打ち、救急外来の対応に追われる日々。疲労を癒やす“特効薬”がある。「『ありがとう』と言われると、やめられない」。中尾さんと南相馬をつなぐ患者たちの言葉だ。中尾さんの元に通い続けて5年、市内に住む佐藤愛子さん(69)は「先生の前向きな姿に気が晴れる。月に1度の診察が楽しみ」と声を弾ませる。

 中尾さんは、「ありがとう」の一言が災害時のキーワードだと南相馬の人々から教わった。震災以降、14年に土砂災害に遭った広島、16年に大地震に見舞われた熊本など災害現場に赴き、被災者に掛け続けた言葉は「会えてうれしいです。ありがとう」。人々は笑顔を取り戻してくれた。

 今年2月には日本医師会の災害医療チーム「JMAT」の一員として、新型コロナウイルスの集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に乗り込み、外国籍の乗員らの診察に当たった。防護服越しに感謝を伝えると「サンキュー」のお礼が返り、殺伐とした船内にひとときの安らぎが訪れた。

 人影が消えた街にはお年寄りが散歩する姿、子どもたちの笑い声が戻りつつある。被災地の人々と時を重ねたからこそ思う。「節目なんてない。日々刻々と状況は変わっている。復興した。全ての街の人がそう言える日が待ち遠しい」

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