野球人生を左右する「野手転向」 西武川越らはブレークなるか…過去の成功例から探る

西武・川越誠司【写真:荒川祐史】

今季はハム白村、西武川越、オリ佐野らがコンバート組としてブレークを目指す

 プロ野球の世界では、投手として入団したものの、プロ入り後に野手へと転向してブレークした選手は少なくない。現役の中にも、糸井嘉男外野手(阪神)や雄平外野手(ヤクルト)のような成功例があり、“決意のコンバート”が野球人生を大きく好転させた事例は珍しいものではない。

 近年においても、投手から野手へコンバートを決断した選手たちが存在する、19年には、15年に中継ぎとして50試合に登板して防御率2.03という好成績を残した白村明弘外野手(日本ハム)がプロ6年目で、15年にドラフト2位という高評価を受けて入団した川越誠司外野手(西武)がプロ4年目で野手転向を決断している。

 また、プロ4年目の17年に投手から野手に転向していたオリックスの佐野皓大外野手は、19年のシーズンに出場機会を大きく増やした。足のスペシャリストとして68試合で12盗塁を決め、1軍の舞台で自らの持ち味を発揮。今季は打撃面でも結果を残して、ステフェン・ロメロ外野手が抜けた外野の定位置争いに割って入ることを狙っているはずだ。

 しかし、投手から野手へのコンバートの成功例を振り返ってみても、必ずしも全ての選手が転向から短期間で結果を残したわけではない。中には野手転向からレギュラー獲得までに、6年以上の年月を費やしたケースも存在している。

 今回は、投手から野手に転向して大きな活躍を見せた選手たちの、野手転向前の最終年から、野手としてレギュラー獲得に至るまでの年度別成績を紹介。それによって、各選手たちがブレークするまでに必要とした期間を、個別に確認していきたい。(通算成績は19年シーズン終了時点)

石井氏は横浜の主力として98年の日本一に大きく貢献

 まずは、野手転向初年度、あるいは転向2年目でレギュラーを獲得している選手たちを紹介しよう(通算成績は、野手としての数字のみを取り上げているが、投手としても大きな活躍を見せた関根潤三氏のみ投手の通算成績も併記)。

○関根潤三氏(元近鉄、巨人)
【1956年】
28試合 9勝11敗 152.1回 66奪三振 防御率2.94
【1957年】
投手:2試合 0勝1敗 5.1回 5奪三振 防御率4.50
打者:125試合 429打数122安打 6本塁打39打点 8盗塁 5犠打 打率.284
【通算成績】
投手:244試合 65勝94敗 1345.1回 645奪三振 防御率3.42
打者:1417試合 4078打数1137安打 59本塁打424打点 30盗塁 46犠打 打率.279

○柴田勲氏(元巨人)
【1962年】
6試合 0勝2敗 11回 9奪三振 防御率9.82
【1963年】
126試合 415打数107安打 7本塁打27打点 43盗塁 1犠打 打率.258
【通算成績】
2208試合 7570打数2018安打 194本塁打708打点 579盗塁 59犠打 打率.267

○石井琢朗氏(元横浜、広島)
【1991年】
9試合 0勝2敗 14.2回 4奪三振 防御率9.20
【1992年】
69試合 219打数59安打 3本塁打23打点 4盗塁 16犠打 打率.269
【1993年】
121試合 414打数110安打 5本塁打36打点 24盗塁 39犠打 打率.266
【通算成績】
2413試合 8638打数2432安打 102本塁打670打点 358盗塁 289犠打 打率.282

 関根氏は53年から3年連続で2桁勝利を挙げ、近鉄のエースとして活躍。野手転向前年の56年にも152.1回を投げて9勝を挙げている。しかし、転向1年目の57年には野手としてレギュラーを獲得。その後も主力打者として長きにわたって活躍を続けた。投手として50勝、野手として通算1000本以上の安打をそれぞれ記録しているのは、2リーグ制導入以降のNPBにおいては関根氏ただ1人だ。

 柴田氏は法政二高時代にエースとして甲子園で夏春連覇を達成し、高卒新人ながらプロ1年目の62年に、開幕2戦目の先発に抜擢される。ところが、同年は6試合で未勝利、防御率も9.82と結果を残せず、早々にスイッチヒッターとして野手へ転向することに。持ち前の俊足と打撃センスを活かして63年にはレギュラーの座を獲得。その後も6度の盗塁王を獲得するなど活躍を続け、V9時代を支える中心選手の1人となった。

 石井氏は高卒1年目の89年に1軍で17試合に登板し、1勝1敗、防御率3.56という数字を残したが、その後は2年続けて防御率9点台と苦しみ、92年からは野手に転向。同年の7月末から「2番・三塁」の座をつかむと、翌年からはレギュラーに定着。4度の盗塁王、2度の最多安打、4度のゴールデングラブ賞と、セ・リーグ屈指の内野手として走攻守の全てにおいて活躍し、トップバッターとして98年の日本一にも大きく貢献した。

阪神糸井は屈指の安打製造機として長年に渡り活躍

 次に紹介する2名は、野手転向後3年目でレギュラー定着を果たした選手たちだ。それぞれの成績は以下の通り。

○愛甲猛氏(元ロッテ、中日)
【1983年】
48試合 0勝0敗 24.2回 16奪三振 防御率4.38
【1984年】
2試合 6打数0安打 0本塁打0打点 0盗塁 0犠打 打率.000
【1985年】
40試合 59打数18安打 2本塁打8打点 0盗塁 0犠打 打率.305
【1986年】
108試合 268打数71安打 7本塁打26打点 4盗塁 8犠打 打率.265
【通算成績】
1532試合 4244打数1142安打 108本塁打513打点 52盗塁 64犠打 打率.269

○糸井嘉男外野手(阪神)
【2006年〕
投打ともに1軍出場なし
【2007年】
7試合 11打数1安打 0本塁打0打点 1盗塁 0犠打 打率.091
【2008年】
63試合 188打数45安打 5本塁打21打点 13盗塁 5犠打 打率.239
【2009年】
131試合 425打数130安打 15本塁打58打点 24盗塁 18犠打 打率.306
【通算成績】
1502試合 5381打数1624安打 163本塁打697打点 297盗塁 45犠打 打率.302

 愛甲氏は野手転向前年の83年に1軍で左のリリーフとして48試合に登板しているが、そのタイミングで決断した野手への転向が吉と出た選手だ。横浜高時代にエースとして甲子園で全国優勝を経験し、ドラフト1位でロッテへ入団したが、1勝も記録できなかった。しかし、野手転向後は88年途中から92年にかけて535試合連続フルイニング出場を達成し、89年にはゴールデングラブ賞も受賞。中心選手として長きにわたって活躍した。

 糸井も近畿大時代にエースとして活躍し、自由獲得枠で日本ハムに入団するなど投手としての評価は高かった。しかし、プロ入りから2年続けて1軍での登板は果たせず、3年目の06年途中に野手にコンバート。08年には開幕戦のスタメンに抜擢されると、翌09年にはレギュラーに定着して打率.306をマーク。この年から6年連続で打率.300以上を記録し、現在に至るまで球界屈指の好打者として活躍を続けている。

福浦氏は遅咲きながらも18年に2000本安打を達成

 次に紹介する3選手は、野手転向からレギュラー定着まで4年以上とやや時間のかかった選手たちだ。しかし、その後の活躍はいずれも目覚ましいものであり、野手転向の成功例ともなっている。それぞれの成績は以下の通り。

○福浦和也氏(元ロッテ)
1994年
1軍登板なし
【1995年~1996年】
1軍出場なし
【1997年】
67試合 218打数63安打 6本塁打23打点 0盗塁 1犠打 打率.289
【1998年】
129試合 465打数132安打 3本塁打57打点 1盗塁 0犠打 打率.284
【通算成績】
2235試合 7039打数2000安打 118本塁打935打点 10盗塁 34犠打 打率.284

○雄平(高井雄平)外野手(ヤクルト)
【2009年】
1試合 0勝0敗 1回 0奪三振 防御率0.00
【2010年~2011年】
1軍出場なし
【2012年】
47試合 143打数40安打 0本塁打8打点 2盗塁 3犠打 打率.280
【2013年】
13試合 37打数11安打 2本塁打3打点 0盗塁 0犠打 打率.297
【2014年】
141試合 547打数173安打 23本塁打90打点 10盗塁 1犠打 打率.316
【通算成績】
925試合 2925打数858安打 66本塁打377打点 38盗塁 18犠打 打率.293

○嶋重宣氏(元広島、西武)
【1998年】
1軍登板なし
【1999年】
47試合 118打数33安打 3本塁打20打点 1盗塁 1犠打 打率.280
【2000年】
41試合 52打数13安打 0本塁打7打点 1盗塁 0犠打 打率.250
【2001年】
17試合 16打数3安打 0本塁打2打点 0盗塁 0犠打 打率.188
【2002年】
1試合 1打数0安打 0本塁打0打点 0盗塁 0犠打 打率.000
【2003年】
2試合 2打数1安打 0本塁打0打点 0盗塁 0犠打 打率.500
【2004年】
137試合 561打数189安打 32本塁打84打点 6盗塁 1犠打 打率.337
【通算成績】
1034試合 3116打数868安打 126本塁打421打点 22盗塁 2犠打 打率.279

 福浦氏は93年のドラフトで7位指名を受けロッテに入団したが、故障もあって同年途中に早くも野手へと転向する。プロ入り後3年間は1軍出場がなかったが、1997年途中に1軍に抜擢されるとシーズン終盤には3番打者に定着。以降、主力打者として活躍した。01年には打率.346で首位打者に輝き、2度の日本一にも大きく貢献。地元出身の生え抜きとしてファンからの人気も高く、18年には2000本安打の偉業も達成した。

 雄平は東北高時代に超高校級左腕として注目を浴び、2球団競合を経てヤクルトに入団。投手として7年間で通算144試合に登板し、07年にはシーズン52試合に登板して12ホールドを挙げたが、制球難が改善されず10年から打者に転向。その後も4年間は雌伏の時が続いたが、14年の野手転向5年目、プロ12年目にして外野手としてレギュラーを獲得。現在に至るまで、チームの主軸として躍動を続けている。

 嶋氏も東北高出身、雄平の先輩にあたり、ドラフト2位という高評価で広島に入団。しかし、1軍では4年間でわずか2試合の登板にとどまり、99年に野手転向。その後も1軍定着を果たせずにいたが、04年に一気に飛躍を遂げて首位打者と最多安打の2冠を獲得。野手転向6年目、投手時代も含めてプロ10年目にしてついに果たしたブレークだった。背番号55にちなんだ「赤ゴジラ」の愛称とともに鮮烈なインパクトを残した。

西武木村は外野レギュラーの座を奪取、今季も定位置キープを狙う

 最後に紹介するのは、現在西武で外野手として活躍する木村文紀外野手。100試合以上に出場した回数が3度ありながら、レギュラー獲得までに7年を要しているという点で、これまで取り上げてきた選手たちとは異なる。そんな木村が記録してきた数字は、以下の通り。

○木村文紀外野手(西武)
【2012年】
8試合 0勝0敗 14回 6奪三振 防御率4.50
【2013年】
11試合 14打数3安打 1本塁打1打点 0盗塁 1犠打 打率.214
【2014年】
100試合 284打数61安打 10本塁打27打点 16盗塁 21犠打 打率.215
【2015年】
49試合 82打数16安打 5本塁打12打点 1盗塁 4犠打 打率.195
【2016年】
28試合 30打数5安打 0本塁打2打点 1盗塁 3犠打 打率.167
【2017年】
105試合 184打数37安打 2本塁打13打点 7盗塁 4犠打 打率.201
【2018年】
75試合 104打数27安打 3本塁打12打点 7盗塁 5犠打 打率.260
【2019年】
130試合 391打数86安打 10本塁打38打点 16盗塁 15犠打 打率.220
【通算成績】
539試合 1089打数235安打 31本塁打105打点 48盗塁 53犠打 打率.216

 木村は06年の高校生ドラフト1巡目で西武に入団し、11年には1軍で21試合に登板。1勝(0敗)1ホールド、防御率2.88と活躍した。しかし、故障の影響で翌年終盤に野手へ転向。2年後の14年には100試合に出場して10本塁打を放つがレギュラーには定着できず。スーパーサブ的な起用が続いていたが、プロ13年目の19年についに定位置を獲得。5年ぶりとなる2桁本塁打を記録し、リーグ連覇にも貢献している。

 このように野手転向の成功例と一口に言っても、その経歴やブレークするまでの年数は様々だ。その中でも、野手転向翌年にレギュラーに定着した柴田氏と関根氏、転向翌年の終盤には定位置を確保していた石井氏は早々にコンバートを成功させたケースだ。

 また、投手と野手を兼務していた時期が比較的長く、明確に野手転向した時期を定めるのが難しいことから今回のリストには加えなかったが、NPB史上初の2000安打を達成した「打撃の神様」こと川上哲治氏も、打者転向を成功させた大打者の1人だ。柴田氏、石井氏、福浦氏を含め、通算2000本安打を達成した選手が4名も輩出されていることからも、プロに入ってからのコンバートが一概に回り道とは言えないことがわかる。

 一方で、投手として7年間という長い期間にわたってプレーした後に野手転向し、プロ12年目にしてレギュラーを獲得した雄平のような存在もいる。野手転向から5年間は苦しい戦いを強いられながら、プロ10年目に一躍大ブレークを果たした嶋氏の例も含めて、早い段階で結果が出なくとも、その後に活躍を見せる可能性が大いにあることも確かだろう。

 白村、川越、佐野といった今後の活躍を誓うパ・リーグの野手転向組は、過去に大きな成功を収めた選手たちに続く活躍を見せることができるだろうか。高い野球センスを見込まれて新たな役割に挑んでいる選手たちが、先人たちのようなブレークを果たしてくれることに期待したいところだ。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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