無数の「声なき声」が聞こえてくる

性暴力サバイバーの写真展、新型コロナで中止に

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田村文

共同通信記者

田村文

共同通信記者

1965年生まれ。89年共同通信社入社。大阪支社社会部、長野支局、名古屋支社編集部、社会部などを経て、97年12月から2018年6月まで文化部に在籍した。放送、演劇、女性、労働、教育などの担当を経た後、最も長く担当したのが文芸。現在は「47ニュース」で「新刊レビュー」を執筆中

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STAND Still「光」Photo by 彩咲りん©2019 Picture This Japan All Rights Reserved

 作品を見ていると、痛いほど伝わってくる。それは自尊心を回復するための歩みだった。過酷な、「闘い」といってもいいほどの。

 東京・芝の東京都人権プラザで開かれていた「STAND&STAND Still写真展」。性暴力被害者が被写体になった写真と、被害者自身が撮影した作品と。どの作品にも、深い悲しみや苦しみ、そして葛藤がにじむ。そして、その奥から一条の光が差してくる。(共同通信=田村文)

 ▽空に向かって手を伸ばす

 2種類の写真が展示されていた。

 フォトジャーナリストの大藪順子(のぶこ)さんが1999年に米国で受けたレイプ被害をきっかけに、米国、カナダ、日本の性暴力被害者約80人を写したプロジェクト「STAND」の作品が26点。そして昨年、大藪さんが講師となり、性暴力サバイバー8人がワークショップを重ね、自分の思いを撮ることに取り組んだ「STAND Still」の作品が16点(大藪さんの作品2点を含む)である。

 写真展は1月18日に始まり、3月28日まで開かれる予定だった。しかし新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、会場の人権プラザは3月3日から休館。ひっそりと開かれていた小さな写真展まで中止の憂き目に遭った。

 でも、少しでも多くの人にこの取り組みのことを知ってほしい。そこで「STAND Still」に参加したサバイバーたちの言葉とともに、写真展の紹介を試みたい。

 薄曇りの空に向かって手を伸ばす。マツユキソウさんの写真は、ポスターにも使われた。作品のタイトルは「私には光が見える」。

 

STAND Still「私には光が見える」」Photo by マツユキソウ©2019 Picture This Japan All Rights Reserved

▽精いっぱいの「自撮り」

 マツユキソウさんは、ワークショップの最初の課題「自撮り」がなかなかできずに悩んだ。

 「被害に遭ったことで、自分が醜くなってしまったと感じていました。大藪さんは『顔じゃなくてもいい、指1本でもいいよ』と言ってくれたのに、それでも自分になかなかカメラを向けられなかった。この写真は私にとって、精いっぱいの『自撮り』なんです」

 参加者の多くが「自分を撮る」ことに苦しんだ。大藪さんは「自分と向き合うことが難しかったんだと思う」と説明する。

 ノリエさんもそうだ。「非常に抵抗がありました。鏡を見るのも嫌だった。自分の顔を見つめることができなかった。それはなぜなのだろうと考えた」。そこから作品が生まれた。

 ノリエさんの作品「光明で満たすため」は、鏡に映った自分の写真を3枚並べている。左から右にいくに従って、徐々に顔がはっきりしてくる。

 キャプションにはこうある。

 「サバイバーである私は、30年以上も抱えていた『恥辱』を捨てる必要性に気づいた。『恥辱』が『希望』に変わるプロセスをここに残す」

 乗り越えなければならないと思った。自分を受け入れたいと願った。そうして自分を取り戻していく過程そのものが、表現されている。

「STAND&STAND Still写真展」の作品の前に立つフォトジャーナリストの大藪順子さん=東京都港区芝の東京都人権プラザ、1月18日撮影

 ▽ずっと探していた

 ノリエさんのそのキャプションには、さらにハッとさせられる言葉がある。

 「レイプというトラウマと生きるのは、けしてマイノリティーの体験ではない。人類の始まりから、主に女性や子供の集合的経験だ」

 確かにそうだ。性的な虐待を受けたり、電車やバスの中で痴漢に遭ったりといった経験のある人は少なくない。加害の態様を、言葉による暴力や心理的な支配・侵害にまで広げれば、被害に1度も遭ったことのない人の方が少数派なのではないか。そう考えると、現実が違って見えてくる。大藪さんもそういう見方を示す。

 「被害者は孤立させられ、個人の問題だと思い込まされてきた。でも、本当は違う。性暴力被害がマジョリティーの体験だとしたら、それにどう社会が向き合うのか。問われているのは社会です」

 彩咲りんさんの「光」という作品。木々の間から陽光があふれている。キャプションを全文引用する。

 「ずっと探していた。何も聴こえない。何も感じない。そんなまばゆい光の中に溶けたかった。誰も悲しまないように私を忘れて存在自体なかったことにしたかった。それが子どもの頃の私の夢。性暴力と優しさの違いが分からなかった。自分に何が起きたのか、何をされたのか、何がつらいのかも分からなかった。それを性暴力だと知るのはかなりの時が経ってから」

「STAND&STAND Still写真展」の展示風景=東京都港区芝の東京都人権プラザ、1月18日撮影

 ▽ひとくくりにしないで

 ワークショップでは、自らの被害を語っても、語らなくてもよかった。その自由さが安心につながった。参加者は口々に振り返った。「楽しかった」「お互いに信頼し合うことができた」と。

 大藪さんは「声を上げられない、あるいは声を上げないことを選んだ被害者たちが、安心して表現できる場をつくりたかった」と話す。「Still」という言葉には「たたずむ」「性暴力を取り巻く社会変化を静かに見つめている」という意味が込められている。

 作品はどれも個性的だ。「被害者は一人一人違う。ひとくくりにしないでほしい」と大藪さん。ステレオタイプな被害者像から、私たちは解放されなくてはならない。

 再び、マツユキソウさんの言葉に耳を傾けたい。

 「自分を表現することは、加害者の支配下にいるときには許されなかったので、とても怖かった。声を上げることは難しいことだけれど、写真での表現を通して、私だから、私たちだから伝えられる声を届けたいと思った」

 これらの作品の背後には、無数の声なき声がある。そう感じさせる写真展だった。