ユナイテッドが「取り逃したスター選手」ベストイレブン

世界最高のクラブとして長年君臨し続けているマンチェスター・ユナイテッド。このところは苦戦しているが、経営規模では未だ指折りの存在だ。

このクラブに加入することはもちろん多くの選手にとって誇りとなるものだが…もちろん、他のチームに行くことを選んだ者も。

今回は『Squawka』から「マンチェスター・ユナイテッドが取り逃した選手のベストイレブン」をご紹介する。

GK:マヌエル・ノイアー

2011年、ファン・デル・サールの引退が差し迫っていたユナイテッドは、新しい守護神を探していた。そのリストにはGKコーチのエリック・スティールとファーガソンが選んだマヌエル・ノイアーがいた。

ただ、最終的にはスティールが勧めたデ・ヘアを獲得することになった。ファーガソンは後にその理由を「エリックはデ・ヘアの両親と関係を築いており、彼のことを信頼しなければならなかったから」と語った。同時にその選択は正解だった…とも。

右SB:トマ・ムニエ

昨年アントニオ・バレンシアを失うことが決まったマンチェスター・ユナイテッドは、アーロン・ワンビサカを獲得した。しかし同時に彼らはPSGのベルギー代表DFトマ・ムニエにも手を出していた。

ムニエは興味を持っていたが、オファーの額がPSGを納得させるものではなかった。後に『RTBF』で「退団することもできたが、クラブにも自分にも合うオファーが無かった」と語っている。

CB:ラファエル・ヴァラン

2016年にジョゼ・モウリーニョがマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任した時、重要な仕事は守備を強化することだった。その一つがラファエル・ヴァランと契約することでもあった。

ヴァランは後に「今のところレアル・マドリーと目標を共にしており、疑問を持つ余地はなかった。モウリーニョにNOというのは難しいが、長所と短所を比較検討しなければならないからね」と話した。

CB:セルヒオ・ラモス

ヴァランの獲得に動く1年前、マンチェスター・ユナイテッドはレアル・マドリーの主将でもあるセルヒオ・ラモスを獲得することを望んでいた。

セルヒオ・ラモスはレアル・マドリーとの契約交渉に行き詰まっていたと言われており、ユナイテッドは2900万ポンドのオファーを出したという。ただもちろんそれは実現せず、ラモスは後に「変化を起こすことは考えたが、最終的にな優先事項は常にレアル・マドリーにあった」と明かした。

左SB:サウール

アトレティコ・マドリーでディエゴ・シメオネ監督に信頼されるユーティリティープレーヤー。常に一貫性あるプレーができる貴重な存在だ。

2015年、マンチェスター・ユナイテッドは20歳だったサウールと契約するチャンスがあった。なぜかと言えば選手側が売り込んだからだ。ただ、ユナイテッド側がそれを断った…とジャーナリストのギジェム・バラグが明かしている。

CMF:ジョーダン・ヘンダーソン

現在はリヴァプールで欠かせないキャプテンになっているヘンダーソン。しかし彼はマンチェスター・ユナイテッドに加入する可能性もあった。

アレックス・ファーガソン氏の自伝における記述では、サンダーランドにいたヘンダーソンをかなり熱心にチェックしていたことが明らかにされている。獲得に動かなかった理由は「膝に負担のかかる歩行フォームだったため」だそうだ。

CMF:トーニ・クロース

もちろんマンチェスター・ユナイテッドが狙っていた大物といえばクロースだ。2013-14シーズン、クラブは直接選手側と会談していた。デイヴィッド・モイーズ監督はかなり熱心に彼を誘い、口頭でクロースと合意した。

ところが、そのモイーズ氏が解任されてしまったこと、後任のファン・ハールがクロースを欲しがらなかったことから、クロースはレアル・マドリーを選んだのだ。

CMF:エンゴロ・カンテ

2015-16シーズンにレスター・シティで大ブレイクを果たしたカンテ。プレミアリーグ優勝に大きく貢献し、その後チェルシーへと移籍している。だが、その前にマンチェスター・ユナイテッドは彼と接触していた。モウリーニョも個人的に彼と会っていたのだ。

「モウリーニョからの電話は驚いたよ。ユナイテッドに来るべき理由についての説明に耳を傾けた。しかしそのときにはもう、レスターに残るかチェルシーに行くかで迷っていたんだ」とカンテはその際の判断について明かしている。

RFW:サディオ・マネ

サウサンプトンで活躍したサディオ・マネ。リヴァプールへと移籍する前、彼はマンチェスター・ユナイテッドのルイス・ファン・ハール監督とも話し合っていた。だがユルゲン・クロップとの出会いが衝撃的だったようだ。

「ユナイテッドへの加入には本当に近かった。ボスとも話をしたし、オファーも受けた。しかし同じ週にクロップから電話を受けて、『リヴァプールに行きます』と答えたんだ」とマネ自身が告白している。

FW:ロベルト・レヴァンドフスキ

レヴァンドフスキがブラックバーン・ローヴァーズと契約する直前だったことは有名だ。そしてそれが噴火による飛行機の運休でおじゃんになったことも。

だが、マンチェスター・ユナイテッドに加入するチャンスもあった。ドルトムントを2冠に導いた後、アレックス・ファーガソン監督と対話していたという。しかしドルトムントがその際は移籍を拒否したため、取引には至らなかった。

LFW:エデン・アザール

2012年の夏、リールで圧倒的な力を見せていたアザールは欧州で最も人気ある若手の一人だった。最終的にはチェルシーが彼を射止めているが…。

「イギリスでプレーしたいといつも言っていた。チェルシーとユナイテッドの間で迷ったが、前者が最高のプロジェクトを持っているように思えた。両方のクラブに連絡を取り、両方の監督と話をしたよ」とアザール自身が語っている。

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