マレーシアの首都クアラルンプール近郊で2月、ヒンズー教徒伝統の祭り「タイプーサム」が行われた。見た目はカラフルだが、その危険さゆえにヒンズー教発祥の地インドではほぼ禁止となっている「奇祭」だ。南インドからの移民が多く根付くマレーシアでは毎年行われている。参加するために世界中から数多くのヒンズー教徒が訪れるこの祭りを取材した。(マレーシア在住ジャーナリスト、共同通信特約=海野麻美)
▽100万人以上
「タイ」はヒンズー暦の満月を、「プーサム」はこの時期に一番輝く星をそれぞれ意味する。ヒンズー教の女神パールバティーが与えたやりで息子のムルガンが悪魔を破ったという神話にちなんでいる。ムルガンは悪の破壊者で、美や若さを象徴する神。仏教では「韋駄天(いだてん)」と呼ばれる。
タイプーサムが行われるのは、バツー洞窟内に建てられたスリ・スブラマニアム寺院。バツー洞窟はマレーシアにおけるヒンズー教の聖地で、祭り当日ともなると参加者を含め100万人以上のヒンズー教徒らが国内外から集結し大変な騒ぎとなる。
祭りの日、信者たちはクアラルンプールの中心部にあるスリ・マハ・マリアマン寺院を出発し、北に約15キロ離れたスリ・スブラマニアム寺院を徒歩で目指す。ゴールのスリ・スブラマニアム寺院では華やかな神輿(みこし)も登場する。
そう聞くと、観光客向けのパレードや家族連れが楽しみながら参加できる祭りを思い浮かべるかも知れない。しかし、現実は全く違う。
▽衝撃
花やクジャクの羽、色鮮やかな布などで作った「カバディ」と呼ばれる大きい装飾につながった太い鉄製の串を舌や頰など体に刺した信者が練り歩いているのだ。これだけでも大変なのに、重さが最大で40キロにもなるカバディを担いでスリ・スブラマニアム寺院まで約9時間も掛けて歩き続けるという。カバディの華やかさと串が刺さった信者の落差がありすぎて、不思議な気持ちになってくる。
家族や知り合いが水や食料を補給するなどしてサポートしている。それでも怪我をしたり気分が悪くなってしまう人も少なくない。
宗教儀式の範囲を超えているように思えるこんな苦行に信者たちはなぜ挑むのだろうか? 彼らは病気や悩みがある人の代わりになることで回復を願いながら、一歩一歩踏みしめて歩くのだ。「カバディ」はタミル語で「あらゆる場面で犠牲になる」という意味。タイプーサムをまさにこれを体現している。
このほか、背中に数え切れないほど刺した串に鈴やライムなどの飾りをぶら下げている男性や豊かさと子宝を象徴するとされるミルクをたっぷりと入れた重いつぼを頭の上に乗せて運ぶ女性や子供たちの姿も珍しくない。
信じられないことに、地面を転がりながら向かう信者もいる。体中がほこりやすすで真っ黒に汚れた信者が、アスファルトが張られた道路を転がっていく様子は、ヒンズー教の信者でない者には異様としか映らない。
ようやくバツー洞窟にたどり着いた信者たちの中には、あまりのつらさにトランス状態に陥るものも少なくない。恍惚の表情を浮かべた信者が、充血した目をカッと見開き奇声を上げながら激しくダンスを踊り続ける光景を初めて目にしたときは、正直おののいてしまった。
同時に、取材前に知人がくれた「祭り当日、バツー洞窟には危険だから近寄らないほうがいい。色々な意味で衝撃を受けるよ」というアドバイスを思い出していた。
▽最後に待つさらなる苦難
バツー洞窟に到着してもゴールとはならない。272段の階段を上がった先にあるスリ・スブラマニアム寺院を目指さなければならない。
信者たちは最後の力を振り絞って、一段一段登る。その足は真っ黒に汚れ、小刻みに震えている。それでも黙々とゴールを目指す姿は信仰の奥深さを感じさせて、神々しい。
そんな信者たちの中に、生後3カ月という赤ちゃんを色鮮やかな布に包み運んでいる家族がいた。「この子が大病をすることなく、健やかにただ育ちますように、それを願ってこの長い道のりを初めて歩きました」。そう話した母親の表情は疲れ果てているものの満足そうだった。
イスラム教を国教とするマレーシアにあって、少数派であるヒンズー教徒のこの祭りの日が国家全体の祝日になっていることは、長らく融和を保ってきた多民族国家の一面でもある。その派手さや奇抜さばかりが注目されがちなタイプーサムだが、信者たちの心の奥底にある思いに触れることで信仰が持つ奥深さを感じることができる素晴らしい祭りだった。