相模原殺傷事件取材で悩んだ記者が元気を取り戻せた場所 一緒に生きた方が良いと教えてくれる横浜のパン屋さん

接客する総菜担当のぷかぷかさんら

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら45人が殺傷された事件を取材していると、押しつぶされそうな気持ちになることがある。19人もの人の人生をたった一晩で奪い、重い障害がある人を人として見ない植松聖(うえまつ・さとし)被告(30)のおぞましさに苦しくなってしまう。ふとした時に、インターネット上で植松被告に同調する書き込みを見て、途方もない無力感を感じることもある。(共同通信=岩原奈穂)

 悩みながら取材を続けていた時、横浜市緑区で「なぜか元気を取り戻せる」場所を見つけた。パン屋やアートスタジオ、総菜店を併設し、知的障害などのある約40人が働く「ぷかぷか」(横浜市緑区)だ。いわゆる福祉事業所だが、枠に収まりきらない魅力を感じた。

 「ぷかぷか」が運営する小さな店は、団地の一角にある。窓には手書きで季節の絵が描かれている。扉を開けると、パンを陳列していた店員の男性が「いらっしゃいませ」と笑いかけてくれた。ここで働くのは知的障害などのある人たち。店の名前にちなんで「障害者」や「利用者」ではなくて、「ぷかぷかさん」と呼ばれる。

パン店のレジ横で客を待つツジさん(写真左)と写真に入ってきたテラちゃん(写真右)

 レジに立つぷかぷかさんの1人、ツジさん(35)は「カナダ、トロント、ウユニ塩湖…」と地名を言い続けていた。最初はびっくりするが、聞いていると、だんだん優しくて心地よい声だと感じる。辻さんは、実は暗算の名人。5個ほどのパンを持っていくと、合計額をレジに打ち込むより早くはじき出した。

 店頭では、近くの農場で育てた野菜も販売している。大根の値札には「たいこん」と味のある文字で書かれていた。ぷかぷかで代表を務める高崎明(たかさき・あきら)さん(70)が、女性客(44)に「これ、大根ではなく『たいこん』なんです」と話し掛ける。女性は「あ、本当だ」と言いながら、顔をほころばせた。

 少し離れた場所には、食堂スペースもある。お客さんも来るが、ぷかぷかさんたちは仕事中の昼食をここで取る。ぷかぷかさんの一人、テラちゃん(27)が「フェイスブックしてますか、お友達になりましょう」と聞いてくれて、ぐっと距離が近づいた。受け入れてもらっている気がして、緊張気味だった記者もリラックスしてしまった。

 お昼を食べながら、高崎さんに話を聞いた。ぷかぷかをオープンさせたのは10年前。以前は特別支援学校の教員だった。言葉を話せないなど、重い知的障害がある生徒と長く付き合ううちに、彼ら彼女らの自由な発想に大きな魅力を感じるようになった。にこっと笑う表情が好きでたまらなくなった。「もっと一緒にいたい」と思うようになり、退職後、手探りでパン店を始めた。

「たいこん」と書かれた値札の貼られた大根を持つ高崎明代表

 開店当初は困難が続いた。ぷかぷかさんたちが店の前で大声で呼び込みをして近所の人から「うるさい」と怒られたり、店に慣れなくてパニックになってしまったり。接客マナーの講習も受けたが、画一的なお辞儀をする様子を見た高崎さんが「気持ち悪い」と感じ、やめた。「一緒にいたい」と魅力的に感じた姿とはかけ離れてしまうと思った。

 大きな声であいさつし、緊張で震える手でそっとコーヒーを差し出す。ひとり言は止めない。時々、店の前でアニメのダンスを練習する人もいる―。周囲に合わせるのではなく、ストレートに気持ちや魅力を伝える店に。そうした店の方向性が固まっていくにつれ、予想外の効果が生まれた。「そのままのあなたが一番すてき」というメッセージが伝わったのか、「ほっとする」「癒やされた」と言って通ってくれる常連客が増えていった。

アートスタジオで絵を描くぷかぷかさんら

 ぷかぷかさんたちが絵や作品を作るアートスタジオを併設してからは、近所の人や店で働くみんなで一つの作品をつくる活動にも取り組んだ。例えば、みんなで大きな木の絵を描いた時。「水の流れを自由に線にしよう」という課題に対して、健常者の大人が「何を書けばよいのか」と戸惑ってしまったことがあった。ところが、ぷかぷかさんは横でぐんぐん線を描いている。そんな姿を見て「自由にしてよいと言われても、自由にできない自分に気がついた」という感想が寄せられたという。

 高崎さんは、こうした取り組みを紹介しながら「支援しているのではなくて、一緒に新しいものをつくっているんですよ」と楽しそうだ。「例えば『たいこん』も間違いだと直してしまえばそれまで。楽しむ感覚があるか。問われているのは僕らです」と目を細める。

 そんな高崎さんにとって、19人が亡くなった相模原の事件は悲しく、そして悔しかった。元職員だった植松被告が繰り返し述べた「重度障害者は不幸を生む」という言葉。安易に賛同する人がいるのではないかと恐れを感じた。一方で、ぷかぷかでの毎日を思い返すうちに「被告がそういう障害者を下に見る関係しか作れなかったのだ」と気がついた。

 ぷかぷかさんと高崎さんの間にあるのは「支援する・される」という上から目線の関係ではなくて「一緒に楽しいことを作り出している」と思えるフラットな付き合いだ。自由さや優しさを感じられるぷかぷかでのささやかな出来事が、被告の言葉への何よりもの反論だと考えるようになり、ブログで100件を超える記事を書き続けた。

 話を聞いているうちにあっという間に夕方になってしまった。閉店後のミーティングが始まる。司会役のぷかぷかさんが「今日はどんな良いことがありましたか」と聞くと「絵を描きました」「腰が痛くなった友達を助けました」とたくさんの答えが返ってきた。どの人も自信にあふれた笑顔。「事件を乗り越えるためには、一緒に生きていった方が良いと思える毎日を積み重ねていくことが大切なんです」。高崎さんはかみしめるように語った。

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