“やらせる”から“考えさせる”指導へ 時代と共に変化していく野球の教育

時代背景とともにスポーツの指導も変わってきている

教育や家庭、時代背景とともにスポーツの指導も変わっている

 野球だけではなく、高校スポーツの指導者に話を聞くと「近頃の子どもは、厳しく叱られたことがなく、甘やかされて育っているから、昔のような扱いはできない」という声が返ってくる。

 昔であれば、選手に命令口調で指導をすれば、それに従って動いたが「今の子供は、何を教えるのでも、なぜそうなのかを説明しなければならない」「少し厳しいことを言うと、ショックを受けるので厳しい口調で指導できない」――。だから、昔とは選手への接し方を変えているという。

 ベテラン指導者の多くがこうした認識を持っている。反対に言えば自分が受けた指導法が通用しないことに、戸惑っている人が多い。

 しかし、子どもの変化は教師や親が甘やかすようになったからではない。社会の変化とともに、教育のあり方が変わったからだ。

 まず、家庭では、コンプライアンス意識の高まりとともに、これまで「しつけの内」とされた親の叱責が、DV(家庭内暴力)や、パワハラと認定されるケースが増えた。家庭内であっても、子どもに対して暴力をふるったり、罵声を浴びせたりすることは良くないという認識が広まった。社会通念が変わったのだ。

 さらに日本の教育方針も変わった。

 文部科学省の学習指導要領は、高度経済成長期には「基礎学力の充実、科学技術教育の向上」など、知識や技術を身に着けさせることを目的に掲げていた。しかし、平成に入ると「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」が重要視されるようになる。さらに、最近は「基礎・基本を確実に身に付けさせ、自ら学び自ら考える力などの『生きる力』の育成」が大きな目標に掲げられている。

「企業戦士」のような根性論、精神論から「自分で考える」人間が求められる時代

 要するに従来の「上からの押し付け」による知識や技術の詰め込みから、「自分で知識や技術を習得する」ための「学ぶ力」「生きる力」を身に着けることが重要だ、という方向に日本の教育そのものが変化したのだ。

 その背景には、社会の変化によって求められる「人材」が変化したことがある。高度経済成長期には、上司の指示に忠実に従い、苦しくても使命を果たす「根性ある」人材が必要とされた。当時、「企業戦士」という言葉があったが、まさに「戦士」のような人材が求められたのだ。その時期には子どもに対して厳しく叱るすることも必要だとされた。

 高度経済成長期、厳しく鍛えられたスポーツ選手は「企業戦士」として引く手あまただったが、今は、自分で課題を見つけ、自分で知識や技術を身に着ける人材が求められている。上からの指示で動くだけの人材はあまり重要視されていない。

 大きな目で見れば日本の教育、指導の変化は、こうした「求められる人材」の変化によって起こったのだ。

 部活も教育の一環だ。今は、部活指導も選手が自分の意志で学び、努力をして技量を向上させることが大事だという考え方が主流になっている。

「今の子どもは甘やかされている」というベテラン野球指導者の多くは、初心者には「厳しく言うとやめてしまうから、最初は優しく接して野球を好きになってもらうことが大事だ」そして、徐々に厳しい指導に耐えるように鍛えていくという。

 しかし、こうした考え方は「野球を好きになってもらう」というアプローチは同じでも、新しい指導法とは内容が全く異なる。昔の考え方の指導者は優しい口調であっても「ああしなさい」「こうしなさい」と指示をする。先に答えを言う。

 これに対し、今の考え方では、指導者は選手に優しく接するが「なかなか答えは言わない」。選手は自分で「答え」を探すことになる。悩む時間は長くなり、選手は一人で苦しむことになる。見方によっては今の指導の方が「厳しい」ともいえるだろう。しかし、自分で悩んでたどりついた「答え」は、その選手の身につき、資産となっていく。

 千葉ロッテマリーンズの吉井理人投手コーチは、指導者として経験を積んだのちに、筑波大学大学院でコーチングについて学び修士の学位を取った。

 その著書『最高のコーチは、教えない。』の中で、吉井コーチはこう語っている。

「コーチの仕事は、選手が自分で考え、課題を設定し、自分自身で能力を高められるように導くことだ」(広尾晃 / Koh Hiroo)

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