『やりすぎ都市伝説』パクリ疑惑 オリラジ中田敦彦さんに確かめたい「東京五輪中止を予言していた」って本当に貴方のオリジナルネタですか?

©TABLO

中田敦彦のYouTube大学より

3月19日昼過ぎ、次のような見出しのネットニュースが更新された。
「オリラジ中田、6年前に東京五輪中止を予言していた? 『やりすぎ都市伝説』の内容が話題に」

新型コロナウイルスの影響によって、開催が危ぶまれている東京オリンピック。こうした危機的状況を、オリエンタルラジオの中田敦彦氏が、とあるテレビ番組で予言していたというのだ。

その番組とは『やりすぎ都市伝説スペシャル2014夏』(テレビ東京、2014年7月25日放送)。中田氏はそこで、徳川宗家の第16当主でありながら、明治維新によって将軍の座につけなかった「幻の将軍・徳川家達」に触れる。

維新後、政治家となった家達は1940年に開催されるはずだった東京オリンピックの組織委員会・委員長に就任。しかし周知の通り、戦争の影響によってそのオリンピックは不開催になり、同年には家達も病死してしまう。家達の死後、徳川家は急速に力を失い、住んでいた千駄ヶ谷の土地は東京都に買収されたのだという。そして2014年当時、そこに新国立競技場が建設されつつある。

「全ての夢も奪われ、土地も奪われた、あの因縁の、家達の持っていた場所で! 次のオリンピックのメイン会場が建設されている! さあ、はたして皆さん! 2020年の東京オリンピック、無事に開催されるのでしょうか! それとも、家達の怨念がそれを阻むのか! ……信じるか信じないかは、あなた次第です!」

――まさに現在のオリンピック危機を示しているではないか。

ネット上ではこの「中田敦彦の予言」が、たいへんな話題になっているそうだ。

しかし、ここで疑問を投げかけたい。

「東京オリンピックと徳川の祟り」についてのネタは、はたして「中田敦彦の予言」なのか?

本当はそれ以前から「元ネタ」がある話題ではないのか?

そこまで言い切ってしまうのには、事情がある。

中田敦彦氏のオリジナルネタなのか?

実はこの私・吉田悠軌こそが「東京オリンピックと徳川の祟り」説の元祖だという自負があるからだ。2014年の放送時からずっと「自分が先に考えたオリジナル・ネタだから!」と主張し続けていたからだ。

こういった議論は水かけ論になりがちだが、今回に限っては幸い、きちんとした確証がある。

オカルト・ニュースサイトTOCANAにて、私は次のような記事を執筆しているのだ。他サイトであるTABLOにリンクを快諾してくれたTOCANAのため、是非とも全ページを熟読していただきたい。

……いかがだろうか? あまりに論旨が似すぎてはいないだろうか?
この記事が発表されたのは、番組放送の半年前である2014年1月23日。また、これ以前に私と同じ主張をしていた人は皆無だと断言できる。

なぜなら「東京オリンピックと徳川の祟り」説は、私が古地図や資料とにらめっこしながら考え出したものだからだ。

「やりすぎ都市伝説」放送分を見る限り、明らかに自分たちが発見したオリジナルのネタとして扱われている。しかしはたして、(それが中田敦彦氏だろうと番組の作家さんだろうと)ここまでピンポイントに同じ話題を考えつくものだろうか? あくまで独自の考察だと主張するなら、中田氏も番組スタッフも、一瞬たりともこの話題についてインターネットで検索しなかったということになるが、それはさすがに考えにくい。

また、プレゼンについては中田氏の「話術」はさすがのものだが、「内容」部分はややぎこちなかった。

例えば、徳川家達の死後、東京都へ土地が買収された件。譲渡された屋敷は現在の「東京体育館」部分であり、新国立競技場(および旧国立競技場)エリアではない。新国立競技場のあたりは江戸時代には御焔硝蔵=火薬庫であり、明治維新後も青山練兵場に組み込まれていた。私の記事ではその辺りをわざとボヤかしているのだが、中田氏は「家達の持っていた場所で、次のオリンピックのメイン会場が建設されている」と断言している。自分でゼロから構築した話なら、こんな凡ミスをするだろうか?

まあ、そこはウッカリ口がすべったと好意的に解釈しよう。

このプレゼン自体は、当時たいへん話題となっていた新国立競技場の土地そのものに焦点を当てず、わざわざ徳川家達の人生を紹介しつつ、最後にオリンピックと関連づける構成をとっている。当時のニュースバリューからすれば、新国立競技場の話題をもっと出すのが当然なのに、最後に一言触れるだけ。これは新国立競技場をクローズアップした私の記事を意識しているため……とは考え過ぎだろうか。

さらに、そこまで心霊要素はいっさい無かったのに、ラストだけ唐突に「家達の怨念」という、私のオカルト記事で使っているような文句が挿入される。こういった不自然なところもまた、「怪しい」と感じられてしまう。
もちろん、次のような意見もあるだろう。

「たとえパクっていたとしても、都市伝説なのだから元ネタもなにもないじゃないか」

テレビ番組制作者は出典の明記をしましょう(基本中の基本です)

確かに都市伝説とは、「口裂け女」「人面犬」「ベッドの下の男」などなど……誰か一人が考えついたネタではなく、世間に広まる過程でつくられていく噂ばなしだ。「都市伝説」は誰のものでもないし、オリジナルもパクリもないだろう。

しかし「東京オリンピックと徳川の祟り」説は、巷に流布している噂を採集したもの=都市伝説ではない。私が自分一人で考えついたトンデモ説だ(面白さを狙ったトンデモ話であることは、ちゃんと自覚している)。

番組名にひきずられて、論点を「都市伝説」にカテゴライズしてしまう気持ちもわかるが、そこは明確に区別しておきたい。

そして「やりすぎ都市伝説」の上手なところは、このように「都市伝説」というワードを巧妙に混同させている点にある。「誰のものでもないんだから、うちらが勝手にネタとして使っても文句ないよね」という立場なら、インターネットで人気のネタ、オカルト好きなら周知のネタを堂々と使えるからだ。

しかし時々、そのやり方が嫌らしく感じられてしまう時もある。

それが定義としての「都市伝説」に合致しているなら、まだいい。しかし私のように、ライター・作家の独自ネタを流用してしまっている場合もある。実際、私の周囲にも「その人たちが考えついたオリジナルネタを勝手に使用された」作家さんを、少なくとも二名知っている。

そしてまた「都市伝説」を冠するのなら、「都市伝説」というジャンルを利用するのなら、同時に自分たちのネタは「オリジナル」「独自」ではないと示さなければ矛盾してしまう。番組でプレゼンする話題も全て、「自分たちのオリジナルではなく、インターネットなど、どこか他から拾ってきたネタです」と宣言すべきなのだ。

またライター・作家のネタであれば、その出典元・参照元を明示すべきなのだ。

私だってイベントや本で「都市伝説」について語ることはよくある。しかしその場合、逆に「自分のオリジナルネタだ」と誤解されないよう、「あくまで自分が発見した独自ネタではなく、都市伝説、噂ばなしである」という注釈をどこかで明言しておく。

同番組は、そこを曖昧にごまかして、あたかも「自分たちが独自に発見したネタです」と視聴者に誤解させる素振りが強すぎるように、私には感じられる。

そういった意味で、前回の「ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説2019冬」(2019年12月28日放送)におけるワンシーンは印象的だった。霜降り明星・粗品氏がプレゼン中のとある部分だけ「ここについては本当に、自分で発見したものですから!」と数回にわたって連呼していたシーンである。なるほど、当該箇所は本当に粗品氏が思いついたアイデアだったのだろう。だから強調しておきたかったのだろう。それは逆に言えば、他の部分は全て独自ネタではない、と証言しているようなものだが……。

ここまで言っておいてなんだが、私自身は別に「東京オリンピックと徳川の祟り」説が勝手に使われることは構わない。それで使用料をよこせなどとは言わない。むしろ自分の考えたネタがこうして広まり、本当の「都市伝説」になれば嬉しい限りである。

ただし感情の問題として、別の誰かに「自分のオリジナルネタだ」という顔をされたら、それは単純にムカつくのだ。自分の方が早かったぞ、と広く主張しておきたいのだ。

そう、あくまで「感情」の問題、自分の仕事に対する名誉の問題なのである。

だから番組スタッフは、ただ元ネタの引用元・参照元をはっきり明示すればいい。

「自分のオリジナルネタだ」という顔をしなければいい。私も、私の周りの作家さんたちも、それで納得する。出典元を明示したら使用料が発生するのでは、と恐れているのならご安心を。そこで誰も金をよこせなどとは言わないはずだ(たぶん……)。

「やりすぎ都市伝説」その他オカルトネタを扱う番組スタッフの方々に、この提案が届けば幸いである。(文◎吉田悠軌)