敬意も弔意もない財務省報告書 同僚を「配下」と呼ぶ心の貧困 森友事件・赤木さんの自死(下)

By 佐々木央

赤木俊夫さん(妻提供)

 近畿財務局職員、赤木俊夫さんの自死にどう向き合うべきか。のこされた手記をもとに考えたい。

 冒頭に「手記 平成30年2月(作成中)」とある。「作成中」の3文字が目に刺さる。彼はこの翌月、3月7日に自死するが、この3文字は消去されず残った。彼はもっと書くつもりだったのだ。書き続けている間は、生きられると考えたのかもしれない。

 手記が未完だとすれば、ついに書かれなかったことは何だろう。生きたいという祈りか、もっと核心に迫るやりとりか、それとも文書改ざんに関わるディテールか。それはもはや永遠に失われた。のこされた者たちが、事実関係を調べ、合理的な推理や想像によって埋めていくしかない。

 手記の「はじめに」の項には、これまで経験したことがないほど異例な事案を担当したことで心身に支障が生じ、休職に至ったと記す。そして「異例」の意味を明かし、財務省の悪を告発する。

 「事案を長期化・複雑化させているのは、“財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが”最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます」

 次に、この事案を「異例」にしてしまった構造が示される。

 ―通常本件事案に関わらず、財務局が現場として対応中の個別の事案は動きがあった都度、本省と情報共有するために報告するのが通常のルール(仕事のやり方)です―

 対応中の事案は動きがあったら上(本省)に報告する。組織として当然だろう。報告を受けた側が「聞き置く」だけで終わらないことは、組織に身を置いたことがある人なら、誰にでも分かる。本省は報告内容について、何らかの判断をし、それを伝える。

 「そのまま進めて」。あるいは「そりゃあ、まずいよ」「今後はこうして」と。報告も判断も指示も、記録に残すのは当然だ。でなければ、その後の判断も、判断についての検証も、記憶という不安定なものに依拠することになる。

 意思疎通を密に行ない、記録に残さなければ、下部組織が上部の意思や方針を軽視、あるいは無視して、暴走する事態も起こりかねない。まして財務省本省は東京にあり、近畿財務局は大阪に所在する。地理的条件からも、近畿財務局が、本省には見えていないことを悪用して、例えば高額な国有財産を安価で売却してしまうということが起こり得る。

 ここまでは一般論だ。手記はこれに追い打ちをかける。

 ―本件事案は、この通常のルールに加え、国有地の管理処分等業務の長い歴史の中で、強烈な個性を持ち国会議員や有力者と思われる人物に接触するなどあらゆる行動をとるような特異な相手方で、これほどまで長期間、国会で取り上げられ今もなお収束する見込みがない前代未聞の事案です―

 「強烈な個性」「特異な相手方」。名前はないが、森友事件の中心人物の一人、籠池泰典氏のことだと分かる。

 ―そのため、社会問題化する以前から、当時の担当者は事案の動きがあった際、その都度本省の担当課に応接記録(面談等交渉記録)などの資料を提出して報告しています。したがって、近畿財務局が、本省の了解なしに勝手に学園と交渉を進めることはありえないのです。本省は近畿財務局から事案の動きの都度、報告を受けているので、詳細な事実関係を十分に承知しているのです―

 本省に報告するという一般的なルールに加え、そのような特殊事案だからこそ、逐一本省とやりとりし、面談の記録まで本省に上げて、共有していたではないか。赤木さんはそう言っている。

 だが本省は、当時は何も知らず、何も残っていないと言い張る。この構造は今も基本的に変わっていない。

 2017年2月17日、安倍晋三首相が「私や妻が関係していたなら首相も国会議員も辞める」と国会答弁。これを受けて1週間後の24日、佐川宣寿理財局長が国会で「記録は廃棄した」と答弁する。そこから、書類を答弁に合わせるという逆転した作業が始まる。存在する書類を隠したり、文書から安倍昭恵氏の痕跡を消したりしたのだ。

 近畿財務局における最初の改ざん作業は佐川氏の「廃棄」答弁から2日後の2月26日。3月7日ごろにも指示が複数回あり「現場として私はこれに相当抵抗しました」。手記はそう明かす。「抵抗」という言葉は、事態を総括する部分で、もう1度出てくるが、事実関係の記述としてはこれだけだ。

 だが赤木さんの自死から3カ月後、18年6月4日に財務省が公表した調査報告書には、赤木さんとおぼしき人物が、頑強に抵抗を続けたことが記録されている。

 まず、2017年3月7日未明から8日にかけて。改ざん作業に関わる記述だ。彼の生きた証しなので、コピペをせずに、写経のように書き写す。

 -近畿財務局の統括国有財産管理官の配下職員は、そもそも改ざんを行うことへの強い抵抗感があったこともあり、本省理財局からの度重なる指示に強く反発し(以下略)―

 手記の「相当抵抗しました」と、時期的にも符合する。この作業は7日未明に始まって日をまたぎ、あくる日は終日、続けられたようだ。「抵抗」も相当、長時間に及んだことだろう。

 さらに17年3月20日頃の状況。「近畿財務局側では、その時期、統括国有財産管理官の配下職員による本省理財局への反発が更に強まっていた」。写真からは温厚そのものに見える赤木さんは、抵抗のたび、どんなふうに、どんな言葉で、理不尽な命令に対抗したのだろう。

安部首相と麻生財務相は「調査される側」。赤木さんの妻の自筆メモ

 この報告書の結論に当たる関係者の処分と処分理由の項にも、赤木さんが登場する。

 ―なお、当時の配下職員は、一定の作業に従事していたものの、本省理財局からの指示に明確に反発して幹部職員にも相談していた経緯を踏まえ、責任は問わないこととする―

 こう書かれたとき、彼はこの世にいない。自死の事実を知りながら、報告書はいっぺんの謝罪の意も、弔意も敬意も示さず、それどころか自死の事実さえ記載せず「責任は問わないこととする」と、上から目線で言い放つ。

 私たちが間違っていた。あなたの姿勢こそ正しかった。あなたに学ばなければならないと、なぜ言えないのか。いや、再調査を拒否し続ける麻生太郎財務相とその「配下職員」に、そんな殊勝な気持ちを求めても無駄か。

 報告書が赤木さんを特定する言葉として何度も使う「配下職員」という言葉には、当事者でない私でさえ、心が粟立つ。「配下」はやくざに使うような言葉だ。辞書を引くと「支配の下にある人」とある。ときに露悪的な(それゆえ本質をうがつ)語義説明で知られる新明解国語辞典は「ある人の命令通りに行動することだけが求められている存在」と定義する。 

 「配下」という言葉にあらわれる組織観・人間観こそ指弾されるべきだが、財務省が求めているのは、まさしくこのような人材なのだろう。そんな組織で、自らの正義を貫こうとした赤木さんはどんなにつらく、大変だったことか。

 赤木さんは「ぼくの契約相手は国民です」が口癖だった。そのようにして自らに課した国民との誓約に、殉じた。だとすれば、彼を本当に追い込んだのは、彼の上司でも、為政者でもない。彼と契約を結んだ国民ではないか。彼を追い込むような非道な組織や権力を許してきた私たち一人一人ではないか。

 その死に責任ある者として、彼の死を無に帰さないために、どうしたらよいのか考えなければならない。死をかけた赤木さんの重い問いに、いま、応えなければならない。(47NEWS編集部、共同通信編集委員佐々木央)

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