ストーンズ「ダーティ・ワーク」と下北沢「蜂屋」のキース・リチャーズ 1986年 3月24日 ローリング・ストーンズのアルバム「ダーティ・ワーク」がリリースされた日

中華鍋を振り回していた下北沢のキース・リチャーズ

「下北沢にキース・リチャーズがいるんだけど」―― 進学を機に秋田から上京して2か月ちょっと、ひとり暮らしを始めて貧乏生活にも慣れてきたある日、同郷の友人がそう言った。本当なら、会いにいかないとイカンだろう。というわけで、夕方に友人と待ち合わせ、キースの居場所に連れて行ってもらった。

北口から5分弱、開かずの踏切手前、線路の向こうにはスズナリが見える、そんな場所に目的地はあった。それは古びた食堂。中に入るとぎっちり満員で、座席が空くまで待たないといけなかった。やっとこさお店に入り、席に着く。友人が厨房を見るように促すと、キースはギターではなく中華鍋を黙々と振り回していた。

いや、それにしてもよく似ている。顔の輪郭からシワ、眉の濃さ、髪の跳ね具合まで。「本人だべ? 出稼ぎに来てるんだな」と、小声で友人と話した。

ギターを振り回していたストーンズのキース・リチャーズ

いうまでもなく、当人のワケがない。ストーンズはアルバム『ダーティ・ワーク』をリリースしたばかりだし、忙しいに決まっている。そもそも当時のストーンズは麻薬がらみの問題を引きずり、入国できないバンドといわれていた。しかし、こちらは秋田から出てきたばかりの純朴すぎる田舎者だ。キースがいたとしても “東京って、やっぱりすげーなー” と受け入れるくらいの心の隙はあった。

数日後、『ダーティ・ワーク』からの2枚目のシングル「ワン・ヒット」のプロモーションビデオを TV で見たが、キースはやはり中華鍋ではなく、ミック・ジャガーにぶつけたれ! というほどの勢いでギターを振り回していた。前年にミックが初のソロアルバム『シーズ・ザ・ボス』を発表し、“勝手なことをしやがって!” とキースを怒らせたという噂は音楽誌を通じて耳に入っていた。そんなストーンズの不仲説を逆手にとった PV だった。

この頃のミックはソロアルバム、さらにストーンズの新作のプロモーションのため、音楽誌で頻繁にインタビュー記事を見かけた。それに比べるとキースのインタビューは珍しく、ミックのようなリップサービスとも無縁だった。ミックがフロントマンだから当然といえば当然だが、二十歳そこそこの自分には寡黙な方がかっこよく見えて、このころからなんとなくキースに肩入れするようになる。

蜂屋のキースは店を閉め、ソロアルバムをリリース? w

話を下北沢に戻そう。蜂屋という名の例の食堂に、自分はその後も頻繁に足を運ぶようになる。なぜなら、とにかく安かったから。ラーメン150円にギョーザが100円。学食でかけそばを食べても170円だったのだから、そりゃあ若くて貧乏な胃袋はラーメンに飛びつく。バイト料をもらえた日には贅沢してラーメンとギョーザに、チャーハン200円を付けてみたり。それでも500円でお釣りがくるのだから、お腹的にはいつも満足。いつ行っても混雑しているのは納得できた。

中華鍋のキースは、いつも黙々と仕事をしている。本当はキースなんじゃないか…? という気持ちが心のどこかにあって、“何か話してくれないかなあ” と思いつつ観察してみたりもしたが、下北のキースは寡黙だ。たまに唇が動くことはあっても、その声は客の話声や、野菜を炒める音にかき消され、ほとんど聞こえることはなかった。

初めてお店を訪れてから1年ほど経ったある日、いつものようにそこに行ってみると、蜂屋は閉店していた。理由はわからない。安くお腹いっぱいにできる店がなくなったことはもちろんだが、下北のキースに会えないことにも寂しさを覚えた。

その翌年、本物のキース・リチャーズはミックの向こうを張り、ソロアルバムをリリースする。タイトルは『トーク・イズ・チープ』=“グタグダ言うな!”(意訳)。

※2019年6月27日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: ソウママナブ

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