デビュー前の吉川晃司、ストリートのスターと原宿ロサンゼルス 1984年 2月1日 吉川晃司のデビューシングル「モニカ」がリリースされた日

原宿にオープンしたライブハウス&プールバー

プールバーのブームがあった。もちろん泳ぐプールではなくビリヤードが出来るバーのことだ。私は以前、ツバキハウスのビリヤード台で特訓のように鍛えられた日々があった。ツバキが閉店して以後しばらくビリヤードはやらずにいたが、当時の勤務先、ラフォーレ原宿パート2 オリーブ館の2軒先に “原宿ロサンゼルス” と言うプールバーがオープンしたらしく、店長自らチラシを持って宣伝に来た。

「暇なんで来てください」

どうやらライブハウスで練習スタジオも2室ありビリヤードも出来るらしい。感じの良い店長に冗談で「ランチ500円ドリンク付きなら毎日仲間と行く」と言ったら、まさかの快諾。翌日からオリーブ館の社員食堂のようになっていった。

原宿ロサンゼルスでデビュー前の吉川晃司とランチ!

ある日、いつものように5人くらいでランチに行くためオリーブ館を出ようとすると、外に立っていた背の高いサングラスの男性が私達のために慣れた仕草でドアを開けてくれた。一番年上のNさんが「有難うございます!モデルさん?」と声をかけたら、その男性はにっこり笑って「モデルに見える? ところで皆何処行くの?」と返してきた。

「昼休憩」
「俺も喉渇いたから一緒に行っていい?」

私は黙って肩幅のある彼の後ろ姿を見ながら、いつも通り原宿ロサンゼルスへ移動。店長が1人で切り盛りしながら「今日は生姜焼きです~!」と声をかける中、全員で彼を囲む形で座る。Nさんが矢継ぎ早に背の高い彼に話しかける。

「モデルじゃないの? えー? 野球選手とか? 違うの? ちなみに名前は?」
「吉川晃司」

陽の当たるソファ席で、彼は色々なことを初対面の私達に滑らかに語ってくれた。広島出身であること。メジャーデビューが近いこと。ロックが大好きでディスコで踊りまくっていたこと。水球をやっていたため肩幅と胸板が厚いうえ高身長ゆえなかなかサイズが合う服が無いこと、そして主演映画も公開されることなどなど…

1時間の昼休憩はあっという間に過ぎ、私達は彼を残し売り場に戻らねばならなかったが、彼は「良い店紹介してくれて有難う」と声をかけてくれた礼儀正しい人だった。売り場に戻る道中、皆が高揚してるのが分かった。「かっこいい!」「笑顔が優しかった」夕方の休憩時でも、吉川晃司が素敵だとNさんを中心にその話題で持ちきりだった。

溢れる存在感、まさにストリートのスター! でも、なんて律儀な人♡

その翌日、再び彼は手を振りながらオリーブ館にやって来た。各ショップが色めきたつ。前日にNさんから散々噂を聞いた “背の高いデビュー前のロッカー” をひと目見たくて背伸びしたり通路に出たりするのが分かる。

昨日、彼の服のサイズに対する悩みに対し私がいくつか薦めたブランドがあり、その日のうちにそこに行き買い物したことを、わざわざ報告に来てくれたのだ。何て律儀な人だろうと思い話していると、お客様もみんな彼を見て足を止める。振り返ったりしながら館全体の空気がざわつくのが分かる。

サングラスを外し、お気に入りの服に身を包みお礼を言う彼からは、ストリートのスターの存在感が溢れていた。「俺、ちゃんと礼儀をわきまえない奴じゃないから」彼はそう言ってゆっくり手を振りながら去っていった。その時、館中の人々の目は彼に釘付けになっていた。

原宿ロサンゼルスの店長から、その後何度となく吉川君がふらりとランチを食べに来ている話は聞いたが、私はそれっきり彼と話すことはなかった。それからすぐ鳴り物入り大型新人としてデビュー。1984年2月のことだ。

ストリートの背の高いスターが全国区のスターになっていくのを、私達は相変わらず原宿ロサンゼルスで500円ランチをしながら店内のテレビで観ていた。

カタリベ: ロニー田中

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