世界結核デー:難民キャンプで結核と闘う人びと

3月24日は世界結核デーだ。昔から人類を苦しめてきた感染症である結核(TB: Tuberculosis)。現在も、世界中で毎年150万人を超える人びとが結核で亡くなっている。

多くの結核患者の中には、祖国を逃れ難民生活を送りながら治療を続ける人たちがいる。紛争が続く困難な状況のもと、結核と懸命に闘っている人びとの声を伝える。 

「病院に入った時は意識不明に陥っていて、体重はわずか45kgでした」

結核にかかった南スーダン難民のジョンさん © Igor G. Barbero / MSF

結核にかかった南スーダン難民のジョンさん © Igor G. Barbero / MSF

ジョン・ジミスさん(28歳)は、南スーダン・マラカル出身。ジョンさんは2017年に難民としてスーダンに逃れ、祖国の内戦によって既に避難していた家族と再会した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、白ナイル州内に居住する南スーダンからの難民は約25万人。そのほとんどが、アル・カファハをはじめとした難民キャンプで生活を営んでいる。

「いつも咳が出て、よく眠れませんでした。ジョレイ難民キャンプの中にある診療所に通って薬をもらっていましたが、良くならなくて。3回ほど医師の診察も受けました。でも、体重は落ちていくばかりでした。

体調はひどくなっていき、夜も寝つけない。私の様子を見るに見かねた親戚が、アル・カシュファにある国境なき医師団(MSF)の病院へ連れていってくれました。病院に入った時は意識不明に陥っていて、体重はわずか45kg。病院のスタッフが痰をとって調べたところ、結核であることが分かりました。

いまは回復しています。2カ月後に病院で再診察を受けて、もう一度痰をとってもらいました。その時には、体重は54kgに戻っていて、いまも増え続けています。

医師は薬の処方を変えていき、次の治療ステージに入りました。いま飲んでいるのはその薬です。楽に歩けますし、元気を取り戻しました。健康ですよ。ありがたいことです。これほど早く治るとは思っていませんでしたから、本当に嬉しいです」 

「紛争が結核治療の障壁になっている」

難民キャンプで医療援助活動に従事するユモ ©Igor Barbero / MSF

難民キャンプで医療援助活動に従事するユモ ©Igor Barbero / MSF

ユモ・アロプは、スーダン・白ナイル州において、MSF結核・HIVチームのリーダーを務めている。

「スーダンには、南スーダン難民が来る前から結核症例がありました。一方、難民の生活環境は劣悪で、狭い場所に大勢が暮らしています。その上、清潔な水が不足していて衛生面にも問題がある。それゆえ、病気がさらに流行しやすい状況となっているのです。

2017年、南スーダン北東部において激しい戦闘が起こり、新たな危機が生まれました。その結果、何千という人びとが隣国スーダンの白ナイル州に避難してきたわけです。新しく着いた人のほとんどは、コル・ワラル難民キャンプで暮らし始めました。

彼らの健康状態をスクリーニングしたところ、一部の人は結核になっていることが分かりました。南スーダンで治療を受けていたものの、紛争が起こって避難せざるを得ず、治療を中断した人も多いです。6〜8カ月治療を受けていない人もいました。健康教育担当スタッフたちに協力してもらって、感染の疑いがある患者さんたちを選定した上で、アル・カシュファ難民キャンプにあるMSF病院に移送しました。

病気が流行していくのを防ぐために、彼らの治療を再開させる必要がありました。密集した場所に感染者がいると、他の人にうつす恐れがあります。一家全員が感染してしまう危険もあります。そうした事態を防ぐために、家族や親類に治療薬を配る必要もあります。

結核は、適切な治療を受けないと、様々な症状を引き起こします。歩けなくなる、食欲がなくなる、咳が出る、身体が衰弱する、熱が出るといった事態に陥り、最終的には死に至ることもある。抗菌薬の誤用も、患者の体内で結核菌が薬剤耐性を得ることにつながります。幸い、2018年に見つかった薬剤耐性結核の症例は1つだけでした」 

MSFは、1990年代半ばから南スーダンで結核の治療活動をスタートさせた。2013年から2019年までに、南スーダンで1万139人の患者を治療した。

戦争・紛争などによって医療体制が崩壊すると、こうした南スーダンの事例のように、適切な結核治療を受けられない人びとが大勢出てくる。結核を放置すれば、死につながりかねない。結核は、いまもなお、世界で死因のトップテンに入る病である。 

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