「世界人類が平和で…」あの柱の正体は?

〝創始者〟の教祖に焦点、本出版の博士に聞く

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都内の寺院の門前に建てられた「世界人類が平和でありますように」と書かれた角柱=東京・谷中

 「世界人類が平和でありますように」。街を歩いているとこんな言葉が書かれた柱をときどき目にする。実はこの柱、「世界約180カ国に20万本以上」存在するとされていること、〝創始者〟がある宗教法人の教祖だということをご存じだろうか。昨年末、これまであまり注目されてこなかった教祖に焦点を当てた学術書が出版された。著したのは40代で大学院に入り博士号(宗教学)を取得した吉田尚文さん(51)。記者自身、いぶかしく思っていた柱の正体について話を聞かせてもらった。(共同通信=松森好巨)

 神社や寺、公園に役所の敷地―。白地に達筆な文字が記された角柱がひっそりと立っている光景に見覚えがある人も多いだろう。正面に日本語、側面に英語などの外国語(「世界…」の翻訳)が記されているほかは設置者名などは確認できない。

 一見して誰が建てたのか不明だが、吉田さんによると「May Peace Prevail On Earth International」(「MPPOE」)という名称の団体が柱を各地に建てる「プロジェクト」を進めている。

 さっそく団体のHPにある「よくある質問」を確認すると、柱は「ピースポール」と呼ばれ「世界平和の願いを形に表した、平和の記念碑」であり、世界約180カ国に20万本以上が建てられていると紹介されている。建てたいと思った人が自主的に自由に建てているとも。

 「これは宗教ですか?」という項目をみると「いいえ、宗教ではありません」と記し、次のように続ける。「この世界平和運動は、政治・宗教・民族を超えて、全人類すべてが参加でき、何ものとも対立しないプロジェクトです」

 注目したいのはHPに掲載された団体の沿革だ。最初の1955年に「祈りによる世界平和活動」が五井昌久氏(1916~80年)の提唱で始まったと明記されている。

 五井昌久氏とは宗教法人「白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)」の教祖であり、吉田さんが昨年12月に上梓した「五井昌久の思想と生涯」(興山舎)で主題とした人物だ。

昨年12月に出版された吉田尚文さんの著書

 同書は国学院大大学院在籍時に提出した博士論文を基に構成されている。そこでは、五井氏が自らの宗教理念をどのように形づくったかを、「生長の家」や「世界救世教」といった同時代の宗教などから受けた影響を考察することで浮き彫りにしようとする。そのために吉田さんは、同会の機関誌や五井氏の著書、講演テープ、五井氏と関係のあった宗教家の著書など膨大な資料を収集・分析したほか、同会関係者らへの聞き取りを行った。

 研究の詳細な内容は本書に譲るが、専門家ではない身として気になるのは身近な存在でもあるあの柱(ピースポール)のこと。プロジェクトを進める団体の説明によれば一つの平和運動なのだろうが、別の見方をすれば形を変えた〝布教活動〟なのではという疑問がわいてもくる。それもこれも全体像がいまいちつかめないから。吉田さんによりながら、柱が建てられた経緯をみていこう。

 吉田さんによると、ピースポールが各地に建てられ始めたのは76年ごろ。ただ「世界人類が平和でありますように」という言葉自体は、55年前後に「世界平和の祈り」として五井氏が信者らに唱えるよう提唱していたという。そして信者らとつくっていた団体を宗教法人化して以降、五井氏はこの「祈り」の言葉を内輪だけにとどめず〝拡散〟していく。

 「パンフレットやリーフレットを会員たちが街頭で配ったりポストに投函したりしたほか、ヘリコプターやセスナ機を使い銀座など東京上空から数十万枚近くまくこともあったそうです」(吉田さん)

フランス語訳が側面に記された「ピースポール」

 東京五輪が開催された64年になると、同会は「祈り」の言葉を英語やフランス語、スペイン語など多言語に翻訳したポスターを各地に掲示する活動も展開。そして76年、ピースポールを日本や世界に建立していく活動方針が同会の機関誌で示され、実際に国内外に次々と設置されていく。

 ちなみに、ピースポールの建立方針を提案したのは広告代理店博報堂の社長を退任した後、同会理事長に就任した瀬木庸介氏(30~99年)。吉田さんによると、当時五井氏は病床にあり具体的な活動内容は瀬木氏の立案によるところが大きかったそうだ。

 このようにピースポールやポスターの設置運動は宗教法人「白光真宏会」が推し進めたものだったのだが、同会HPによると、運動は88年以降「ワールド・ピース・プレヤー・ソサエティの活動となる」とされている。「ワールド―」は、いま現在ピースポールの普及プロジェクトを行っていると前述した「MPPOE」の改名前の団体だ(同会の現会長と「MPPOE」の代表者は同じ人物が務めている)。

 吉田さんは「宗教法人から〝分離〟させたことも、運動が拡大していった要因の一つ」と話す。

 ピースポールの歴史をみてきたが、そこに記された言葉や普及活動にどんな意味が込められているのだろうか。

 吉田さんによると、五井氏が提唱した「世界人類が平和でありますように」という「世界平和の祈り」の言葉には以下の4行が続く。同会のHPにも掲載されているのでそのまま引用する。

 〈日本が平和でありますように/私達の天命が完うされますように/守護霊様ありがとうございます/守護神様ありがとうございます〉

 五井氏は定型化された5行の言葉を信者たちに示した上で、〝いつでも〟〝どこでも〟〝絶えず〟唱えるよう教えたという。その教えの基礎には、これらの言葉を唱えること(世界平和を祈ること)が「世界平和」につながるという五井氏の宗教的な〝ロジック〟がある、と吉田さんは分析する。

 〝ロジック〟の分析は、吉田さんの著書の本題にあたる内容であり、かいつまんで説明することは難しいのでここでは省略する。代わりに注目したいのは、上記の定型化された5行のうち、五井氏が最初の1行(「世界人類が…」)だけを唱えるのでも良しとしていること。そしてその1行は信者だけでのものでなく、宗教や人種を超えて受け入れられる言葉だと五井氏が主張している点だ。吉田さんが解説する。

著書について語る吉田尚文さん

 「機関誌をみると、五井氏は『世界人類が平和でありますように』と唱えるだけでもいいと語っている場面があります。五井氏の教えによるならば、だれであれこの言葉を唱え祈ることが『世界平和』へとつながっていきます。ポスターなどを全国に掲示したり、様々な言語に翻訳して世界中に広めたりしようというのも、大勢の人の『祈り』の力を集めるためと言ってよいでしょう」

 では、五井氏が提唱した「祈り」の言葉の普及運動が実際に信者の増加に結びついたのか。吉田さんによると、五井氏は運動に賛同する人に対して白光真宏会の会員になる必要はないと言っていたという。「折伏(しゃくぶく)」のような他教団の人を説き伏せる活動も抑えられたことから、運動の広がりほどには信者数は伸びなかったらしい。

 吉田さんは仏教系雑誌「月刊住職」3月号に「全国各地のお寺に『世界人類が平和でありますように』が建つ理由」と題して記事を寄せ、各地の寺院に設置までの経緯を聞き取った内容を紹介している。

 「世界平和の気持ちは万人の願い」などと賛同し設置を許可している寺院がある一方で、「いつの間にか建っていた」などと批判的に語る寺院関係者もいた。共通するのは、どの寺の住職たちもピースポールの理念や五井氏のことをほとんど理解していないことだった。吉田さんは運動の意義を認めながらも同記事の末尾で次のように指摘する。

 「いくら有意義でも、その根本のところの説明を省いてしまっては、のちに誤解や反感を受けることにつながる可能性が高くなるだろう(中略)臆することなく説明しておけば、断られるにしても賛同してもらえるにしても、透明性があってお互いに気分がよいでのは」

「ピースポール」が建っている長安寺の門前=東京・谷中

 ▽取材後記

 吉田さんは同志社大を卒業後、宗教系の出版社勤務などを経て13年に国学院大大学院の修士課程へ進み、宗教社会学を専攻する井上順孝教授(現名誉教授)に師事した。40歳を過ぎて研究の道を選択したきっかけは2年前に発生した東日本大震災。もともと少年時代から死後の世界などに考えを巡らすことが多かったそうだが、2万人を超える犠牲者をもたらした震災を前にして、〝死〟や〝宗教〟は吉田さんにとって黙しがたい問題となっていったという。

 ここまで記すと深刻な問題意識を抱えた研究者像を思い浮かべるかもしれないが、実際に会って話を聞いてみるととても朗らか。国学院大に入った理由を聞くと「実は東北の方の大学に入りたかったのですが、落ちちゃいまして」とあっけらかんと話してくれた。

 博士課程に進むかどうかを指導者に相談した際、「年齢を考えても研究者の職は非常に厳しい」と言われたものの構わず進学。19年に博士号(宗教学)を取得した。現在は塾講師などをしている。吉田さんは「これからも知りたいという欲求を持ち続けて、新しい発見があれば1年に1本ぐらいは論文を書いていきたい」と、研究を続けていくつもりだ。